上粕屋神社付近にある七人塚は、太田道灌が上杉定正に襲われた時に討死した家臣7名の墓です。現地の案内板によるとかつては上粕屋神社の境内にありましたが、明治末の開墾のとき伴頭のものと言われる一つが残されたと言います。
近くの洞昌院には太田道灌の墓があります。
1432~1486年、室町中期の武将。上杉定正の執事となり江戸城を築城。山内上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)方の讒言により、主君定正のため謀殺された。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。
1432~1486年、室町中期の武将。上杉定正の執事となり江戸城を築城。山内上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)方の讒言により、主君定正のため謀殺された。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。