江戸最大の八幡宮で、八月に行われる深川八幡祭りは神田祭、山王祭とともに江戸三大祭りの一つです。
ニュースなどで賑わっていましたがこの神社で事件があったのは昨年の暮れ、その影響もあって今年の初詣客は多くありません。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には横綱力士碑をはじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されています。横綱力士碑の前には超五十連勝力士碑があります。谷風梶之助 63連勝を始めとして梅ヶ谷藤太郎、太刀山峰右衛門、双葉山定次、千代の富士貢、白鵬翔が50連勝を越えた力士と言います。
拝殿の東隣には境内摂社が祀られています。赤い鳥居の先には永昌五社稲荷神社、白いコンプリートの社の中には祖霊社・花本社、天満天神社、聖徳太子社、住吉神社、野見宿禰社、車祈社・客神社の6社が祀られています。
弁天池の中に祀られる七渡社・粟島社は富岡八幡宮がこの地に祀られる以前から祀られている地主神と言います。
拝殿に西側には金比羅神社・富士浅間神社、大鳥神社・鹿島神社、恵比須宮・大黒宮の3つの社が祀られていました。表参道から離れていることもあってか訪れる人は多くありませんでした。
第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。
大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。
6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。
仲哀天皇の皇后、父は開化天皇の曾孫、母は新羅から但馬に来住したという天之日矛(あめのひぼこ)の玄孫たかぬかひめ。
三韓征伐の中心人物で仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮で急死すると、妊娠中にもかかわらず武内宿禰とはかり新羅に遠征したとされています。
この遠征により百済と高句麗も日本に帰服ししました。皇后は大和に戻ってから応神天皇を皇太子に立てて約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったと言われています。
第26代天皇(在位:507年2月4日~531年2月7日)武烈天皇没後嗣子がなく、大伴金村・物部麁鹿火(あらかび)らに越前から迎えられて河内で即位したと伝えられる。 このころ朝鮮半島における日本の勢力は衰え、筑紫では磐井(いわい)の乱が起こった。また仏教も渡来人によって伝えられ普及し始めた。陵墓は大阪府茨木市太田3丁目の三嶋藍野陵。
第21代天皇(在位:456年11月13日~479年8月7日)允恭天皇(いんぎようてんのう)第五皇子。宋書に見える倭王武とされる。雄略天皇の登場により大王による専制支配が確立され、大王を中心とする中央集権体制が始まったとする見方がある。考古学的に実在がほぼ確定している最初の天皇とされる。陵墓は大阪府羽曳野市島泉8丁目の丹比高鷲原陵。