寺伝によると行基が自ら彫刻した不動明王をこの山に祀ったのが大善寺であると言われています。
衣笠城の中には大善寺、蔵王権現、不動堂などがあり、三浦一族の学問や仏教信仰の中心的な役割を果してきました。現在、蔵王権現や不動堂は存在しないようです。
大善寺の石段の下には行基によって湧き出させたと伝えられる不動井戸があります。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
三浦半島に点在する不動霊場巡り、江戸時代以前から巡拝が行われていたとされる。
1番 龍塚山武山不動院、2番 金笠山大善寺、3番 岩戸山満願寺、4番 豊川山徳壽院、5番 高尾山長光寺、6番 星谷山浄蓮寺、7番 放光山常福寺、8番 真宝山宗圓寺、9番、亀養山長安寺、10番 御霊山正業寺、11番 五明山最宝寺、12番 安戸山荘厳寺、13番 正覚山十劫寺、14番 牛込山 永楽寺、15番 飯盛山妙音寺、16番 荒井山真光院、17番 海雲山龍潜庵(本瑞寺内)、18番 禅林山正住寺、19番 降鏡山福本寺、20番 金剛山浄楽寺、21番 立石山不動院、22番 海上山圓乗院、23番 守護山玉蔵院、24番 長谷山仙光院、25番 景政山長運寺、26番 六代御前不動院、27番 白瀧山高養寺、28番 黄雲山延命寺
奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。
五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。
忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。
奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。