衣笠城 


 城郭の構造:山城
 築城の時期:康平5年(1062年)、三浦平大夫為通
 廃城の時期:宝治元年(1247年)
 主な城主:三浦氏
 所在地:神奈川県横須賀市衣笠町
 訪問日:2014年2月26日

 

源頼朝が伊豆で平家に反乱すると三浦氏4代目三浦義明は頼朝を支援したが、頼朝は石橋山の戦いで敗れ房総半島へ逃げ延びます。三浦一族は平家方の畠山重忠軍との衣笠城合戦で敗れ衣笠城は落城。城主義明は討ち死にし三浦一族は房総半島に逃れることになります。

追手口の道標
衣笠城本丸遺址の石柱
衣笠城跡の案内板
衣笠城址の標柱

その後鎌倉幕府が成立すると衣笠城は再び三浦氏の本拠となます。宝治元年(1247年)有力御家人の勢力争いである宝治合戦で北条、安達両氏を中心とする幕府軍の攻撃により三浦党は滅亡、衣笠城は廃城となりました。

衣笠城址の標柱
衣笠城址の案内板
三浦大介義明公の石碑
衣笠城址の石柱

大善寺の境内から坂道を登ると本丸跡と呼ばれる広場に出ます。最高点には衣笠城址と記された石柱があるものの明瞭な遺構は残っていないようです。

関連記録・コース

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 畠山重忠(はたけやま しげただ)

1164~1205年、鎌倉初期の武将。源頼朝に従い、有力御家人の一人となる。のち北条氏と対立、北条義時の大軍を武蔵二俣川に迎え撃って戦死した。

 

 宝治合戦(ほうじかっせん)・三浦氏の乱(みうらのらん)

鎌倉時代中期に起こった鎌倉幕府の内乱。執権北条氏と有力御家人三浦氏の対立から宝治元年(1247年)6月5日に鎌倉で武力衝突が起こり、北条氏と外戚安達氏らによって三浦一族とその与党が滅ぼされた。得宗専制政治が確立する契機とされている。

 

 平治の乱(へいじのらん)

保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

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