須磨浦公園の真上にそびえる鉢伏山から横尾山、東山へと続く尾根道は六甲山全山縦走路が通る稜線で、明るいハイキングコースとしてたくさんのハイカーで賑わうところです。その中間である横尾山は標高321m。この山麓には浸食された花崗岩のやせ尾根が続く岩稜地帯があり須磨アルプスと名付けられ、小さなスリルを楽しめるところとしてガイドブックなどにも紹介されているところです。
須磨浦公園は源平合戦の古戦場で、大きな石碑や敦盛塚などが歴史の一こまを伝えています。ここから鉢伏山の山頂までは30分ほどの登りのようですがロープウェイで山頂を目指すことにしました。平日と言うこともあって11時出発のロープウェイのお客さんは我々2人、ロープウェイの駅員さんは山上売店などで売られる缶ジュースやお菓子などをロープウェイに積み込んでいました。
ロープウェイの山頂駅からは須磨浦が一望できます。よく晴れた日には神戸空港や淡路島なども見渡せると言いますが白く濁った空の下からは展望も今一つです。園地となっている山上公園の石段を登ったところが鉢伏山です。
ここからは六甲山全山縦走路の良く整備された道が続いています。小さく下って登り返した頂は旗振山で電波塔が建つ山頂には茶店もあります。ここは地元の人が回数登山を楽しんでいるところのようで、登山回数を記録する小さな署名所もありました。茶店の中では数人のお客さんが楽しそうに歓談しています。金剛山や弥彦山、関東では筑波山などでもそうであったように回数登山は多くの山で行われているようです。ここ旗振山もそうですが、山によってはその登山回数の記録をとっているところもあり、登山をする人の励みにもなっているのでしょう。
ここは摂津の国と播磨の国の国境がとおていた稜線と言います。茶店前には三角点もありました。
またこの山は源平合戦の歴史の一つ、源義経のひよどり越の逆落としの伝説が残るところです。一の谷に陣を布いていた平家の軍勢に対し、源義経が70駒ほどの騎馬武者で奇襲を行ったと伝えられる伝説の戦で、ひよどり越の舞台が何処であったかは論議を呼んでいるところです。
一つはこの山頂の案内板に紹介されている鉄拐山と旗振山の間の斜面。山頂から先にある分岐からは義経道と言う登山道が一の谷へと下っています。もうひとつはひよどり展望公園下の斜面。兵庫歴史研究会の「義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落とし」では推定される合戦の場を詳しく紹介しています。
旗振山からもウバメガシの林の中をたどる尾根道が続いています。旧妙見堂への道を右に分けると鉄拐山への登りが始まります。岩まじりの坂道を登って行ったところは鉄拐山の山頂。木立に覆われた山頂からの展望は望めません。山頂には古い多角点と市復興基準点がありました。復興基準点は神戸淡路大震災の地殻変動に対応するため新たに設けられた三角点と言います。国土地理院のホームページを見ると、辺り一帯にはその他の基準点として等級も指定されていない復興基準点がたくさんありました。
山頂にはこの時期には珍しいツツジが咲いていました。案内板にとるとモチツツジとか。アカマツの2次林に多いツツジで通常の花期は4~6月とか。やはりこの時期ツツジが咲くのは珍しいものです。
小さく下って行くと須磨寺公園と言われる園地で、おやが山とも呼ばれています。高倉団地の裏山とも言えそうなところで広場の上にはおらが茶屋があります。ここの茶屋には独特のカレーがあるとか。期待してドアを開けようとしましたがこの時期は平日の営業はしていませんでした。
さらに園地を進んだところには高倉山の立派な石碑があります。ここからは目の前に神戸の町並みが広がっています。もともとの高倉山は標高291m、ポートアイランドを作るためこれを140m削り取られたその跡地に高倉団地が作られたと言います。武甲山は採石のより標高が40mも低くなり山容が著しく変化したのは有名ですが、人間は開発と言う名のもとに自然を大きく変えてしまうものです。
ここからは急な階段が高倉団地へと下っています。下からは40人ほどの中年の団体が急な階段を登ってきます。造成された斜面の排水溝を兼ねた階段はなかなか急な登りでかなり辛そうでした。
登山道は高倉団地の中へ。縦走コースの真ん中に団地があるのも珍しいものです。団地の中のスーパーに立ち寄り昼食を買い求めました。
高倉団地を抜けると栂尾山への急な階段が始まります。標高差で70m、400段近くの真っすぐな石段はなかなか疲れるものです。たどり着いた栂ノ尾山の山頂には木製の展望台があります。展望台に登ると白く濁った空の下に旗振山から続く縦走路を眺めることができます。そろそろ時計は12時、展望台下のベンチで先ほど買い求めたお弁当の昼食です。
栂尾山からウバメガシの登山道を緩やかに登って行くと横尾山です。この山頂は神戸側の視界が僅かに開けまだ残った紅葉の先に神戸の町並みを一望することができるところです。山頂には2等三角点もありました。
ここからが須磨アルプスの核心部ともいうべき風化した岩が連なるところです。鎖が張られた岩場を下ると目の目に踏み跡。その先は須磨アルプスの岩場を一望できる岩の上です。
左手に下って行く道は階段などが整備され、大きな岩を巻くように鞍部へと下って行きます。鞍部からは左手横尾団地へと下って行く道、右手高雄山に下って行く踏み跡が分かれていました。
登山道は目の前の岩尾根へと登って行きます。登り着いたピークが馬ノ背と言われるところ。左手が切れ落ちた10mほどの馬ノ背は小さなスリルを味わえるところです。振り返ると累々と積み重なる岩峰が南画でも思わせるようにそびえていました。
小さく登り返したピークが東山です。この山頂には付近の山仲間でしょうか、数人の初老のグループが山談議に花を咲かせていました。
ここからは板宿への下りが始まります。低い山の常でしょうが何処からも街に降りられることもあり、いくつもの枝道が付いています。学校の校庭脇を抜けると板宿稲荷神社の前にたどり着きました。ここからは石畳の階段を下り住宅街の中に。途中には道案内も出ていますがあまり判り易くないものです。
たどり着いた板宿から山陽電鉄で須磨浦駅へと戻りました。各駅の停車した電車は10分ほどで車を停めた須磨浦駅にたどり着きました。