畝傍山は、奈良盆地南部に位置する小さな山です。耳成山、天香具山とともに大和三山と呼ばれ、神話の歴史を今に伝えるところです。
畝傍山の山麓に祀られた橿原神宮は、神武天皇が畝傍山の東南、橿原の地に宮廷を造営し即位の礼を行われたと伝えられることから、その宮址とされる地に明治23年に創建された神社です。古事記や日本書紀に第1代の天皇として伝えられる神武天皇は、現在の歴史の上ではその存在も含めて否定的な見解が主流のようですが、古事記の世界ではまさに畝傍山の山麓が日本発祥の土地と言うことができます。
橿原神宮前の大きな駐車場に車を停め、神宮の参拝に向かいます。平日とは言いながらたくさんの観光客が訪れていました。広い橿原神宮の神殿は真っ白い砂利が敷き詰められ、荘厳な雰囲気がするところです。
神殿に参拝してから畝傍山に登ることにしました。登山口は橿原神宮の裏手の雑木林の中にあります。明るい雑木林の中をたどる道は山腹を巻くようにして山頂を目指して登っていきます。古い歴史を伝える山と言いながら、歴史の片鱗を伝えるものはあまり残っていないようです。登山口に建てられた案内板と、古い有力氏族の祖神を祀った畝火山口坐神社が歴史の息吹を伝えているようです。
木立に覆われた山頂には3等三角点が立っています。山頂からは橿原の町並みの先に霞んだ大和の山々が見えるようですが何処がどの山かを見定めることは難しいものがありました。
帰り道は往路と反対側の道を下っていくことにしました。しばらく下ると道は橿原神宮公苑にたどり着きました。ここには旧日本海軍の航空母艦瑞鶴の記念碑が祀られています。数ある旧海軍の艦船の中、その輝かしい戦歴の艦は瑞鶴を置いてほかにないと言われる船で、太平洋戦争を通じ多くの戦場を駆け抜けたと言います。今の平和の世界も戦陣に散った多くの若い人の命の上に成り立っているということができるようです。
瑞鶴の道を左に折れると神武天皇稜です。白い砂利が敷かれた参道を進むと大きな周囲100mほどの陵墓が現れます。古事記には「御陵は畝火山の北の方の白檮の尾の上にあり」とされたことから幕末ころ神武天皇稜と定めたれたとのことで、歴史的な真偽は疑問符が付くようです。陵墓はひっそりとして訪れる人もまばらでした。