伊勢原市沼目に祀られた神社です。
≪八坂神社の由緒≫
創建の時期は不明なるも1200年~1300年ころ(北条時代)京都祇園八坂神社を信仰する有志が、分社をこの地に勧請したものと考えられる。爾来天王社(お天王さま)と呼ばれ信仰を集め、親しまれてきた。神体は、行基菩薩作の木像で、高さ1尺4寸3分(47センチ)と伝えられる。
天正19年(1591)11月家康公より神領高七石の御朱印を寄進された。明治6年7月30日村社に列せられ、大正5年2月8日神饌幣帛料供進神社に指定された。
かつては牛頭天王(インド仏教の守護神・疫病神)、大山咋神(比飯山の地主神・山王権現)慶応4年(1868年)の神仏分離令により祭神は記紀に登録された神名に統一された。
境内の銅鐘は応永10年(1403年)の銘、県指定の重要文化財です。
拝殿の脇にには昭和49年に倒木した天王松の大きな根がありました。天王松は樹齢六百有余年、幹の太さは目通りで6メートル余り、樹高20メートルの巨木と言います。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。