八坂神社 
寺社の種類:旧村社
創建の時期:ー
御祭神:素盞之男命(すさのおのみこと)
境内社:天神、金比羅、稲荷、不動を社殿背後の詞に祭祀
本殿の形式:入母屋造
所在地:神奈川県伊勢原市沼目2丁目3ー30
訪問日:2024年10月20日
伊勢原市沼目に祀られた神社です。
かつては牛頭天王(インド仏教の守護神・疫病神)、大山咋神(比飯山の地主神・山王権現)慶応4年(1868年)の神仏分離令により祭神は記紀に登録された神名に統一された。
境内の銅鐘は応永10年(1403年)の銘、県指定の重要文化財です。
拝殿の脇にには昭和49年に倒木した天王松の大きな根がありました。天王松は樹齢六百有余年、幹の太さは目通りで6メートル余り、樹高20メートルの巨木と言います。
鎮座地 伊勢原市沼目二丁目三ー三〇
祭 神(旧)
牛頭天王「インド仏教の守護神・疫病神」、一名、武塔天神又の名素戔嗚尊と呼ぶ。
大山咋神「比叡山の地主神・山王権現」、又の名は山末之大主神と称す。
仏教伝来(五三八年)以来、仏は善神(あだしくにのかみ)つまり、外国の神と理解され神を仏の化身(本地垂迹説)、神は権現(権に現れた者)と呼ぶ神観念が定着していた。
祭 神(新)
素戔嗚尊、伊弉諾尊の子、天照大神の弟
「農神、疫病神、学問、縁むすび、商売繁盛、国土安全、国家安泰にご利益」
大山咋神 素鳴尊の孫「土木建築・酒造の神」
慶応四年(一八六八年)太政官布告(神仏分離令)により祭神は記紀に登録された神名に統一された。
境 内 天神、金比羅、稲荷、不動を社殿背後の詞に祭祀
例祭日
例大祭 初期六月十五日(京都祇園八坂神社御会)、中期 四月十四日(日吉神社例大祭)、現在四月第二土曜日(二〇〇二年より)
年間行事 歳旦祭…一月一日・祈年祭…二月・大祓(夏越)…七月・新嘗祭…十二月・大祓(年越)十二月
社 殿 入母屋造 二棟一字 一二六平方メートル
境内面積 三二二〇平方メートル
由緒沿革
創建時期は不明なるも一二〇〇年~一三〇〇年頃(北条時代)、京都祇園八坂神社を信仰する有志が、分社をこの地に勧請したものと考えられる。爾来、天王社(お天王さん)と呼ばれ信仰を集め、親しまれてきた。
神体は、行基菩薩作の木像で、高さ一尺四寸三分(四七センチ)と伝えられる。
天正十九年(一五九一年)十一月、御朱印状により神領高七石を寄進された。明治六年七月(一八七三年)村社、大正五年(一九一六年)神饌幣帛料共進社に指定された。
宝 物
銅鐘一口・応永十年(一四〇三年)の銘、県指定重要文化、御輿一基
関連記録・コース日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。