例年12月初旬に開催される秩父夜祭で全国的にも有名な神社です。初代の知知夫国造である知知夫彦命が、八意思兼命を祀ったことに始まると伝える神社で創建は崇神天皇10年。崇神天皇は古事記、日本書紀に登場し大和朝廷の創始者であったとする説もあります。
秩父神社は三峰神社、宝登山神社とともに秩父三社に数えられ秩父夜祭は「山・鉾・屋台行事」の1つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されています。
朱塗りの神門をくぐると大きな拝殿、県の重要文化財にも指定され徳川家康が寄進したもので江戸時代初期の建築様式を今に伝えています。多くの彫刻が拝殿を飾る中、子育て・子宝の寅は江戸時代に伝説の職人、左甚五郎の作と言います。
彫刻のつなぎの龍や知恵の象徴である北辰の梟の絵馬やお守りもあるようです。若者やツアーのお年寄りで境内は賑わっていました
日本神話に登場する神様。高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子。天の岩屋戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を誘い出す方法を考え出した。また葦原中国平定の使者を選定し瓊瓊杵尊ににぎのみことに従って地上に下った。
第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第3皇女。敏達天皇の皇后。女帝。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。陵墓は大阪府南河内郡太子町山田の磯長山田陵。
天地のはじめに天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、神皇産霊尊(かみむすびのみこと)とともに高天原にあらわれた造化三神の一神。天照大神(あまてらすおおみかみ)とともに高天原を主宰する。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
天地のはじめに天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、神皇産霊尊(かみむすびのみこと)とともに高天原にあらわれた造化三神の一神。天照大神(あまてらすおおみかみ)とともに高天原を主宰する。
天地開闢(てんちかいびゃく)のときに高天原に出現し万物生成化育の根源となった三神。天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の三神で性別を持たないとされます。
第29代天皇(在位:539年12月5日~571年4月)継体天皇の皇子。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とした。在位中に仏教が伝来。また、任那みまなの日本府が滅亡した。陵墓は奈良県高市郡明日香村平田の檜隈坂合陵。
第30代天皇(在位:572年4月3日~585年8月15日)欽明天皇第二皇子。任那復興を企て百済・新羅と交渉した。物部・中臣両氏の実力を背景に仏教排斥を断行した。陵墓は大阪府南河内郡太子町太子の河内磯長中尾陵。
第32代天皇(在位:587年8月2日~592年11月3日)欽明天皇皇子。名は泊瀬部(はつせべ)。蘇我馬子(そがのうまこ)に擁立されたがのち対立して暗殺された。陵墓は奈良県桜井市倉橋の倉梯岡陵。