三峯神社(みつみねじんじゃ) 


 寺社の種類:旧県社、別表神社
 創建の時期:景行天皇年間(71年-130年)
 主祭神:伊弉諾尊伊弉册尊
 札所:秩父三社
 本殿の様式:ー
 所在地:埼玉県秩父市三峰298-1
 訪問日:2018年11月4日

 

日本武尊が東征の途中、現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したと伝えられている神社です。景行天皇の東国巡行のとき、白岩山、妙法ヶ岳、雲取山の三山を賞でて三峯宮の社号を授けたと伝えています。また伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられています。

三峯神社の駐車場
三峯神社の三つ柱鳥居
三つ柱鳥居
三峰山博物館
参道に並ぶ奉納石碑

中世以降、日光系の修験道場となり関東各地の武将の崇敬を受けました。

江戸時代には秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族、神使として崇めるようになりました。修験者たちが三峯神社の神得を説いて回り、三峯講が関東、東北などを中心として信州など各地に組織されました。

石段を登ると奥宮遥拝殿
三峯神社の遥拝殿
遥拝殿
遥拝殿から妙法ヶ岳
三峰山の案内版
山中要作先生顕彰碑
日本武尊の銅像

三峯神社へは大輪からケーブルカーがありましたが老朽化などで2007年12月に廃止になりました。現在は路線バスが三峰口駅から三峯神社まで運航しています。大輪からは表参道や裏参道を登るハイキングコースが整備されています。妙法ヶ岳と合わせれば気軽なハイキングが楽しめそうです。

三峯神社の三峯神社の随身門
三峯神社の随身門
三峯神社の石柱
狼の石像
狼の石像
三峯山の神額
極彩色の随身門

紅葉の最盛期と言うこともあり三峰観光道路はひどい渋滞です。たどり着いた駐車場からは遥拝殿に向かいます。見上げる稜線の頂は奥の院が祀られる妙法ヶ岳、その奥には熊倉山の稜線が見えていました。

杉木立の参道
石段を登ると拝殿
極彩色の御手水場
青銅の鳥居
三峯神社の八棟木灯台
八棟木灯台という飾り灯台
拝殿の脇には社務所
三峯神社の拝殿
極彩色の拝殿
軒には精緻な彫刻が
極彩色の拝殿
極彩色の拝殿

随身門から杉林の参道を緩やかに下って行くと三峯神社の拝殿です。極彩色の拝殿は寛政12年(1800年)、本殿は寛文元年(1661年)の建立とか、たびたび改修が行われているようで2004年にも修理修復が行われているようです。

三峯神社の祖霊殿
境内の祖霊殿
三峯神社の国常立神社の社
国常立神社の社
極彩色の社に神額
三峯神社の日本武神社
日本武神社
日本武神社
伊勢神社
境内に祀られる摂社
東照宮
摂社の最後は大山祗神社
参道の奉納石碑
参道に土産物屋

拝殿の脇には国常立神社や日本武尊神社、たくさんの摂社が祀られていました。

 

 《三峯神社御由緒》現地の案内板

三峯神社の案内板

当社は今から一九〇〇年余の昔、日本武尊が東国の平安を祈り、伊弉冉尊・伊弉冉尊、二神をお祀りしたのが始まりです。 尊の道案内をした山大(狼)が、お使いの神です、三峯の名は神社の東南にそびえる雲取、白岩、妙法の三山が美しく連なることから、三峯宮と称されたことに因ります。

奈良時代、修験道の開祖役小角が登山修行したと伝え、天平八年国々に疫病が流行した折、聖武天皇は当社に葛城連好久を使わして祈願され、大明神の神号を奉られました。

平安時代には僧空海が登山、三峯宮の旁らに十一面観音像を奉祀して天下泰平を祈り、以来僧侶の奉仕するところとなりました。

鎌倉時代、畠山重忠が祈願成就の御礼として十里四方の土地を寄進しました。また戦国時代には月観道満が諸国を勧進して天文二年に社殿を再建し、中興の祖と仰がれています。

江戸時代、関東郡代伊奈半十郎検知の折、三里四方を境内地として除地され、寛文元年現在の本殿が造営されました。

享保年間には日光法印が社頭の復興に尽し、御眷属信仰を広めて繁栄の基礎を固めました。

寛政四年に随身門(仁王門)、同十二年には拝殿が建立され、幕末まで聖護院天台派修験、関東の総本山として重きをなし、幕府から十万石の格式をもって遇されました。

明治維新の神仏分離により社僧を罷め仏寺を閉じ神社のみとなりました。明治六年郷社、同十六年県社に列せられ、戦後官制廃止により宗教法人三峯神社として現在に至っています。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 円小角、役行者、神変大菩薩

7世紀末に大和葛木山にいたという呪術者。修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けた。秩序を乱したので699年に伊豆に流された。山岳信仰と密教とが合流するようになって修験者の理想像とされ、その足跡を伝える説話は多く伝えられている。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 崇神天皇(すいじんてんのう)・御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)・御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)

第10代の天皇(在位:前97年1月13日~前30年12月5日)開化天皇の皇子。記紀によれば四道(しどう)将軍を派遣して大和朝廷の領域を広げ国家の財政制度を確立したという。陵墓は奈良県天理市柳本町の山辺道勾岡上陵。実在が確かな最初の天皇とされされ以前の天皇を欠史八代と言う。

 

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

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