江戸時代には高尾山薬王院、新井薬師、日向薬師とともに武相四大薬師の一つとして多くの信仰を集め三井の薬師とも呼ばれていました。
峰の薬師には富田常雄の小説「姿三四郎」で空手の桧垣鉄心と決闘したところです。また境内には明治の政党政治家尾崎行雄の石碑がります。号は咢堂、神奈川生まれで明治23年より昭和27年まで衆議院議員連続25回当選。新潟新聞主筆を振り出しに、第二次大隈内閣文相、第二次大隈内閣法相等を歴任し憲政の神様と謳われています。
明治36年(1903年)から45年(1912年)まで東京市長に就任、サクラの苗木 3000本をワシントン D.C.に贈呈したことはよく知られています。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。