現地の案内板によると明治14年の行われた道路拡張工事でよろい塚古墳の蓋が露出し、玄室が壊れそうなのでこれを修理し、よろい塚神社の御神体として祀ったとされています。
よろい塚神社の社殿は昭和初期に失われました。御神体は土に埋もれよろい塚の碑と呼ばれるようになったとされています。
よろい塚古墳群は高部屋小学校北方の台地に現存する6基の古墳群です。昭和63年1号古墳の発掘調査が行われ古墳時代後期の円墳であったと考えられています。この調査により玄室が確認されましたが忠魂碑やよろい塚神社の基礎、それまでの盗掘により石室の東側はすでに失われていたと言います。