葉山の総鎮守として源頼朝が創建したとされる数少ない神社の一つです。平氏滅亡ののち鎌倉に入った源頼朝は鎌倉に近い葉山に三嶋大社の分霊を勧請して森戸神社を創建しました。
吾妻鏡には頼朝が別邸を建て、流鏑馬、笠懸などの武事を行ったことが記されています。災厄が生じると加持祈祷が行われ、七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記されています。源氏はもとより鎌倉幕府の要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもありました。
境内には多くの社が祀られています。おせき稲荷は古来よりせきが止まらない人、喉を使う職業の人の篤い信仰がある社です。
水天宮は「まいられよ 子宝の福 さづかりに」と俳句に詠まれるほど安産・子宝の篤い信仰があります。
森戸海岸は森戸の夕照(もりとのせきしょう)として神奈川の景勝50選に指定されてところです。岩礁の沖合い700メートルに浮かぶ小さな島は名島、赤い鳥居は裕次郎灯台とも呼ばれ沈む夕日はパンフレットなどでも紹介されているところです。
森戸のビャクシンは源頼朝が森戸神社を創建したとき、若木が飛来し岩壁に根付いたものと言われています。約800年(推定)とされる大木は葉山町天然記念物(かながわの名木100選)に指定されています。
七瀬払いは朝廷などで行わえれた祓の一種。吾妻鏡によると鎌倉幕府でも由比ヶ濱、金洗澤池、固瀬川、六浦、柚川、杜戸(森戸)、江の島龍穴を七瀬とし風雨が続くなどの災禍において七瀬祓を行ったと言います。
日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。日本書紀は大山祇神、古事記では大山津見神と表記します。
古事記では、伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれました。日本書紀では伊弉諾尊が軻遇突智を斬った際に生まれたとしています。
八岐大蛇に登場する足名椎(あしなずち)、手名椎(てなずち)や木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の父であり天津神(あまつかみ)に対する大地の国津神(くにつかみ)として登場する神様です。山をつかさどる神で、水の神、田の神としても信仰されています。
1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
古事記に登場する神で、伊邪那岐尊、伊邪那美命によって生み出された最後の神です。出産時に伊邪那美命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊邪那美命は死んでしまいます。怒った伊弉冉尊は十拳剣天之尾羽張(あめのおはばり)で殺してしまします。
迦具土神の血や死体からは多くの神が生まれました。
日本神話の神。出雲の国つ神大山祇神(おおやまつみのかみ)の子。妻は手摩乳(てなずち)。末娘の奇稲田姫(くしなだひめ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妻となる。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。
保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。