小動神社(こゆるぎじんじゃ) 


 寺社の種類:旧村社
 創建の時期:文治年間(1185年~1189年)
 札所:ー
 本殿の様式:権現造
 所在地:神奈川県鎌倉市腰越2丁目9-12
 訪問日:2018年11月1日

 

源頼朝に仕えた佐々木盛綱が父祖の領国であった近江国の八王子宮を勧請したものと伝えられ、江戸時代までは三神社や八王子社と称していました。

鎌倉市・小動神社の石鳥居
参道の石鳥居
鎌倉市・小動神社の案内板
小動神社の案内板
鎌倉市・小動神社の由緒書き
小動神社の由緒書き
鎌倉市・小動神社の直会殿
境内の直会殿
鎌倉市・小動神社の境内に手水場
境内に手水場
鎌倉市・小動神社の御輿蔵
御輿蔵

元弘3年(1333年)5月には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願したと伝えられています。

鎌倉市・小動神社の石鳥居
石段の上に石鳥居
鎌倉市・小動神社の拝殿
境内の奥に拝殿
鎌倉市・小動神社の神額
小動神社の神額
鎌倉市・小動神社の拝殿に三社神社の神額
拝殿の内陣に三社神社の神額
鎌倉市・小動神社の拝殿奥に本殿
拝殿の奥に本殿
鎌倉市・小動神社の金毘羅宮と稲荷社
金毘羅宮と稲荷社
鎌倉市・小動神社の拝殿脇に海神社
拝殿の脇に海神社
鎌倉市・小動神社の境内に神寶殿
境内に神寶殿
鎌倉市・小動神社の第六天社
第六天社
鎌倉市・小動神社の第六天社
第六天社
鎌倉市・小動神社の八王子山遠見番所の案内板
八王子山遠見番所の案内板
鎌倉市・小動神社の展望台からは江の島が見えます
展望台からは江の島が見えます
鎌倉市・小動神社の参道に石灯篭
参道に石灯篭
鎌倉市・小動神社の参道に鬼子母神堂
参道の鬼子母神堂

境内には江ノ島が一望できる展望台があります。天保13年ごろには小動神社の展望台左側には番所が置かれ、異国船渡来の通報拠点としての役割を担っていたと言います。

関連記録・コース

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 建御名方神(たけみなかたのかみ)

日本神話に登場す神様、大国主命の子。武甕槌神(たけみかづちのかみ)らが葦原の中つ国の国譲りを大国主命に迫ったとき、武甕槌神と力比べを行ったが敗れて信濃諏訪湖に逃れ、この地から出ないと誓った。諏訪大社の祭神です。

 

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 権現造(ごんげんづくり)

本殿と拝殿とを石の間または相(あい)の間でつないだ神社建築様式。平安時代に始まり桃山時代から盛んになりました。日光東照宮本殿が代表的で東照大権現の名をとって権現造と言います。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 武甕槌神・建御雷神(たけみかづちのかみ)

日本神話に登場する神様。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神です。国譲りでは経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣されます。また神武東征においても、天皇の危難を救ったとされる神です。島神宮祭神です。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 楠木正成(くすのきまさしげ)

1294~1336年、南北朝時代の武将。河内国の土豪。1331年、後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵、建武政権樹立に貢献し、河内和泉の守護となった。1336年足利尊氏を兵庫湊川に迎え討つが敗れ、弟正季と刺しちがえて死んだ。

 

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