神明社 
横浜市内では最も由緒の古い神社の一つとされています。
参道の注連柱の先に茅の輪くぐりがあります。年に2回、6月の夏越祓と12月の大祓、身の罪や汚れを祓い清め、厄災から逃れるための神事として古くから全国各地で行われています。
水神社では清流人形流しが行われています。積もり積もった身心の汚れを人形に移して流すもので境内に地下からくみ上げた井戸水を用いるとされていました。
広い境内には伊勢神宮と同様に、本社(内宮)に天照大御神を祀り、摂社(外宮)に豊受大御神を祀っています。
境内に祀られた末社は11社、月読社、風社、切部乃王子神社、日之王子神社、鹿島社、雷者、白鳥社、火産社、山神社、山王社、厳島社、見目社、天満宮、稲荷社、水神社でご神徳は多岐に渡っているようです。
(旧伊勢神宮領 榛谷御厨総鎮守)
今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷とよばれていた平安時代の中頃、天禄元年(九七〇)当社の祭神・伊勢の天照大神が、武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井・二俣川・下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年(二三五)神託があって、神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の祢宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
その後、戦乱の時代に一時退したが、天正十八年(一五九〇)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また元和五年(一六一九)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治二年の修営時には、明治天皇東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治六年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
平成十年十月、鎮座一〇三〇年祭・当地遷座七七〇年祭・伊勢神宮鎮座二〇〇〇年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、三八〇年ぶりに本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物十二棟が一新された。平成十二年四月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。
御祭神は、天照大御神
社殿建築様式は、本・拝殿とも神明造り
例祭日は、八月第四日曜日
関連記録・コース日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。