高水山の山頂直下に高水不動があります。常福院高水山龍學寺、波切白不動明王を本尊とする真言宗のお寺です。
鎌倉時代の武将、畠山重忠も深く信仰したといいます。当寺本尊の不動尊像は、智証大師が日原の大日如来窟で修行中、浪を切る不動が眼前に出現したものを彫刻し高水山に納めたものだと言います。
青梅市文化財ニュースによると境内の中央にある不動堂は文政5(1822)年の再建、正面には一?閣(いちげいかく)と書かれた大きな木額が掲げられ本尊の波切不動明王像が安置されているといいます。また度重なる山火事で堂宇は焼失し石造と言う仁王像も失われたと言います。現在の山門には金剛力士と3面6臂の明王像がありましたが何の明王かは判りませんでした。
真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。
五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。
忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。
814~891年、平安前・中期、天台宗寺門派の開祖。天台座主。母は空海の姪という。853~858年唐で修学。帰朝後、延暦寺別院として園城寺(おんじようじ)を再興。台密を完成させた。
真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。
平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。
1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。