成願寺 


 寺社の種類:曹洞宗の寺院
 山号:萬年山
 創建の時期:-
 本尊:聖観音菩薩
 所在地:神奈川県足柄下郡湯河原町城堀
 訪問日:2016年1月4日

 

土肥一族の菩提寺として鎌倉時代に建立された寺院です。

境内には、石橋山の戦いで敗戦した源頼朝が落ちのびるときに付き従った7人を祀る七騎堂や、文部省指定の天然記念物である樹齢800年のびゃくしんの巨木などがあります。

湯河原町・城願寺の山門
城願寺の山門
湯河原町・城願寺の三界萬霊碑
三界萬霊碑
湯河原町・城願寺の禁葷酒の石碑
禁葷酒の石碑
湯河原町・城願寺の萬年山山門
萬年山の山門
湯河原町・城願寺の六地蔵
参道に六地蔵
湯河原町・城願寺の土肥実平腰掛け石
土肥実平腰掛け石
湯河原町・城願寺の七騎堂
七騎堂
湯河原町・城願寺の七騎堂の案内
七騎堂の案内
湯河原町・城願寺の謡曲七騎落ちの案内
謡曲七騎落ちの案内
湯河原町・城願寺の天然記念物のビャクシン
天然記念物のビャクシン
湯河原町・城願寺の源頼朝腰掛け石
源頼朝腰掛け石
湯河原町・城願寺の鐘楼
鐘楼
湯河原町・城願寺の文殊堂
文殊堂の内部
湯河原町・城願寺の文殊堂
文殊堂
湯河原町・城願寺の文殊堂
文殊堂
湯河原町・城願寺の境内に庭園
境内に庭園
湯河原町・城願寺の案内
城願寺の案内
湯河原町・城願寺の本堂
城願寺の本堂

 

関連記録・コース

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 聖観音菩薩・正観音菩薩(せいかんのん)

六道を教化する六観音の一つ、地獄道を化益するという。1面2臂が特徴とされる。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 平治の乱(へいじのらん)

保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

TAG:湯河原梅園から城山 2017.2.6
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