西本寺 
大内義興が石見銀山を守るため要害山の頂上に山吹城を築城しました。その後、尼子氏や毛利氏などの戦国大名の激しい争奪戦が繰り返された歴史舞台でもあります。
山吹城解体後、四門のうちの追手門が龍昌寺の門として改造され、後に西本寺の現在の場所に移転されたとされています。西本寺の山門には山吹城城門の石碑が建っています。
■構造形式 四脚門 切妻造 桟瓦葺
■建立年代 十七世紀初期
西本寺は元西本坊と称し、江戸時代初期の寛永年間に銀山の熊谷宗右衛門尉直政の請により六世空乗の代に出雲国神門都白枝村から現在地に移転したと伝わる浄土真宗本願寺派の寺院です。
この山門は、一対二本の丸い親柱と前後四本の角控柱からなる四脚門で、一七世紀初頭の特徴をそなえた優品です。
山門は銀山川対岸にあった曹洞宗龍昌寺にありましたが、昭和三十六年に現在地へ移築されました。龍昌寺は慶長九年(一六〇四)に伽藍を造営したとの記録があり、この門もこの時に新築されたものであるとも推定されます。
両側面と練中央に取り付く三個の板蟇股、頭貫の木鼻の彫刻、虹梁両端の引き締まった袖切りの渦など、それぞれ時代の特性をよく備えています。柱上の三斗組とする組物の形もよく、肘木端が円弧に切られているのは禅宗様式特有の表現です。全体にわたって無駄がなく正統的な造りで、この時期の一つの模範作と位置付けられます。
この山門は、建立当初の材料をよく残していて、大田市内での最古級のものと考えられ、存在価値の高い建造物です。
日本仏教の一宗派。浄土真宗の宗派の1つで本願寺(西本願寺)を本山とする。浄土真宗は第12世准如の時、長兄教如が徳川家康の援助で東本願寺を建てたため本願寺は東西両本願寺に分かれた。1981年6月、東本願寺派を真宗大谷派、西本願寺派を真宗本願寺派と改めた。