城ヶ島海岸の馬の背洞門は自然が作り出した海蝕洞窟です。現地の案内板によると明治の文豪大町桂月はここを訪れ「馬の背に至る、怒涛脚下の巌を噛む、左は房州、右は伊豆、前には雲の峰聳ゆ、その雲の峰少し薄らぎ中より大島あらわる、馬の瀬はやがて馬の首となり、長巌海に突き出す。云々」
大町桂月は日本各地を旅行し層雲峡の羽衣の滝の名付け親としても知られています。大雪山の黒岳の近くには桂月岳と名付けられた山もあります。
東北の仏ヶ浦では「神わざ鬼の手づくり仏宇陀(ほとけうた)人の世ならぬ処なりけり」の歌碑を残しています。