自艦水(自害水・自鏡水) 


 観光地の種類:史跡
 所在地:神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜 南郷山
 訪問日:2016年3月12日

 

治承4年(1180年)石山合戦に敗れた源頼朝が平家の追っ手を逃れこの池にたどり着いたとき、水面に映った己の姿を見て自害を思いとどまったと伝えられるところです。

林の中に自艦水
自艦水の案内板

暗い林の中の小さな池には自艦水を紹介する石碑がひっそりと建っていました。

 

 《史跡 自鑑水(自害水・自鏡水)》現地の石碑

自艦水の石碑

一年中枯れることなく清水を湛えたこの窪地は、昔から自鑑水と呼ばれている

治承四年(一一八〇年)石橋山の合戦に破れた源頼朝主従は地元郷土の英雄土肥実平一族の庇護のもと、平家の追手から逃れ、この池に辿りつき、喉を潤し、水鏡で乱れた髪をかい直すと、平家を破り天下を納める自らの姿が映り、自害を思い留まり、気を強く持ち直したという。頼朝再興の礎として伝えられている

平成十九年四月土肥会八十四年記念事業之

土肥会・湯河原町、神奈川県 施工清原石材(株)

 

 関連記録・コース


 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 平治の乱(へいじのらん)

保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

TAG:南郷山・幕山 2016.3.12
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