武田信玄の墓碑 


 観光地の種類:史跡
 所在地:長野県諏訪市中洲神宮寺
 訪問日:2014年7月27日

 

神宮寺跡近くの山の斜面に武田信玄の墓碑があります。自然石の小さな墓碑で赤さびた説明板には武田信玄公碑、坂上田村丸碑と書かれているようです。

古い自然石の石碑
古い自然石の石碑
武田信玄の墓碑
坂上田村麻呂碑の案内板
武田信玄、坂上田村麻呂の墓碑
武田信玄碑の案内板

武田信玄は没後3年間は喪を公表しないと遺言したと言います。このこともあってたくさんの伝承が残っているようです。

 武田信玄(たけだしんげん)

1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。

 

 上杉謙信(うえすぎけんしん)長尾景虎(ながおかげとら)

1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

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