神宮寺は諏訪大社上社の近くにあった寺院の総称です。案内板によると神仏混合の寺として上ノ坊(如法院)と下ノ坊(蓮池院)を中心に多くの伽藍がありました。臨済宗の法華寺もまた神宮寺とされていました。
明治の廃仏毀釈により諸塔は破却され仏像などは各地の寺院に移転されました。
草原の中には鐘楼跡や仁王門跡などの案内板が建っています。しかし往時の建物跡などは残っていないようです。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。
日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。