淨因寺 


 寺社の種類:臨済宗の寺院
 山号:行道山
 創建の時期:和銅7年(714年)、行基上人の開創
 所在地:栃木県足利市月谷町1579
 訪問日:2013年3月21日

 

行道山浄因寺は関東の高野山とも呼ばれ、関東四霊場の一つに数えられる臨済宗の古刹です。

駐車場わきに行道山の案内板
駐車場からは石段を登り
参道にはたくさんの石仏
暗い林の中に行道公園の分岐
池の中に石仏
お地蔵さんが祀られて

参道には33,000体と言われる石仏が立ち並び、山上の岩場には右手を手枕に西を向く寝釈迦が祀られています。

参道の先に山門
行道山の扁額
岩の上に清心亭
石段の先に山門
石碑や石仏が祀られる境内
行道山淨因寺の案内板

また境内の巨岩の上に建てられた茶室は清心亭で、葛飾北斎が描いた「足利行道山雲のかけ橋」として知られています。

大きな岩の上に清心亭
本堂脇の石段を登って行きます
見下ろす境内に清心亭
広場には朱塗りの社
石仏が立ち並ぶ広場
小さな岩場に上にたくさんの石仏
小さな寝釈迦
小さな岩場に上にたくさんの石仏
関連記録・コース

 臨済宗(りんざいしゅう)

禅宗の一派。鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派の禅を伝えたのに始まる。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。

 

 行基(ぎょうき)

奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。

 

 聖観音菩薩・正観音菩薩(せいかんのん)

六道を教化する六観音の一つ、地獄道を化益するという。1面2臂が特徴とされる。

 

 臨済宗(りんざいしゅう)

禅宗の一派。鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派の禅を伝えたのに始まる。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。

 

 室町幕府(むろまちばくふ)

足利氏が京都に開いた幕府。1336年足利尊氏の建武式目制定をもって創始された武家政権。鎌倉幕府の制度・機構をほぼ継承して発足し、南北朝合体によって全国統一政権となった。しかし守護領国制の発展による地方分権化に対抗しえず、特に応仁の乱以降は、群雄割拠の戦国時代と化し1573年一五代義昭が織田信長に追放され滅亡。

 

 聖武天皇(しょうむてんのう)

第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 室町幕府(むろまちばくふ)

足利氏が京都に開いた幕府。1336年足利尊氏の建武式目制定をもって創始された武家政権。鎌倉幕府の制度・機構をほぼ継承して発足し、南北朝合体によって全国統一政権となった。しかし守護領国制の発展による地方分権化に対抗しえず、特に応仁の乱以降は、群雄割拠の戦国時代と化し1573年一五代義昭が織田信長に追放され滅亡。

 

TAG:行道山 2013年3月21日
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