足尾銅山は慶長15年(1610年)発見された古い銅山です。江戸時代、産出された銅は貨幣の鋳造や江戸城や芝上野の徳川廟の屋根瓦に使用されていました。当時の我が国の銅生産高は世界一であったと言います。
一時生産量は衰退していましたが明治初期には豊富な鉱脈が発見され明治18年には国内の銅生産量の4割を占めるほどになりました。反面、坑木や燃料として付近の森は伐採され精錬所から排出される煙害で付近の山は木も生えない禿山になりました。
洪水により鉱毒を含んだ水が渡良瀬川に流出するなど、我国の公害の原点という汚名を残したところでもあります。
小滝抗は足尾銅山の坑道の一つで旧小滝橋の先に坑道跡が残されています。
付近には中国人殉難烈士慰霊塔があります。太平洋戦争の末期、中国から連行された坑夫が鉱山の労働に従事しその多くが殉職した慰霊塔と言います。
付近には庚申山の登山口ともなっている国民宿舎かじか荘があります。関東の耶馬渓とも呼ばれる庚申山は庚申講を中心とした信仰の山で近くには「磐裂神社から114丁」と掘られた古い丁程標がありました。