秩父大神社は秩父三十三観音霊場32番札所、法性寺の近くにある神社です。明治の神仏分離令までは歓喜天(聖天)を祀っていたと言い聖天社と称していました。
ここを訪れたのは釜ノ沢五峰のハイキングの帰りです。四脚門の鳥居をくぐると正面には秩父大神社の扁額を掲げる拝殿があります。その中には見事な彫刻を施した本殿が祀られていました。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。
頭は象身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王でのち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合、子宝の神として信仰される。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。
日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。