高王山城は戦国時代に発知(ほっち)氏が築いた山城です。高王山の山頂を本丸に数段の郭を構えた梯郭式の山城です。
現地の案内板によると天正9年(1581年)、沼田平八郎景義がここに本陣を構え沼田城の奪還をはかったと伝えられています。真田昌幸の謀略により平八郎は沼田城で殺害され、その首は八郎石の上に置かれたと言います。沼田城には八郎石の由来にかかわる案内もありました。
木立に覆われた本丸跡にはNHKと群馬テレビの中継塔が建っています。このためもあって周囲にめぐらされえたと言う土塁の跡は明瞭に見付けることができませんでした。
慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。