開化天皇(在位、紀元前158~98年)の皇子、日之雅皇子命が武蔵野国を巡幸したとき、釜伏山の奥の院に祠を祀り旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが始まりと言われています。
770年頃、日本武尊が東征のとき釜伏山に立ち寄り神に供える粥を炊かれました。その釜を伏せて祈ったのが釜伏山であり、釜山神社とも伝えられています。秩父の三峰神社とともに狼信仰が残るところで、参道には幾つもの狼の石像が祀られていました。
この神社を訪れたのは皇鈴山から波久礼駅へと向かうハイキングの途中です。狼の石像や古い石碑の並ぶ暗い参道を進むと「神威輝四海」と大書された拝殿が建っていました。
拝殿の裏からは日本水への山道が続いています。しかし源流への山道は崩壊が激しく、途中で通行止めになっているようです。
第9代の天皇(在位:前158年11月12日~前98年4月9日)孝元天皇の第2皇子。皇居は大和春日率川宮(いさかわのみや)。 陵墓は奈良県奈良市油阪町の春日率川坂上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。