国道396号線を少し戻り県道9号線を右側に曲がると広く開けた草原が広がっています。ここが平城京の跡。ようやく探し出した駐車場に車を停め平城京跡を散策することにします。
平城京は和銅3年(710年)から約70年間、都がおかれたところです。唐の長安をモデルとして造られた平城京は大極殿から南に延びる朱雀大路を中心に整備された町並みが広がっていたと言います。
駐車場の隣にあるのが発掘された遺構の跡を展示している資料館。祭祀などに使われた酒を造るために使用した井戸跡や建物の礎石などが展示されていました。
資料館からは遊歩道をたどり朱雀門に向かいます。近鉄電車の線路を越えたところに建つ大きな門が朱雀門。往時は羅生門から大きな通りがこの門まで続いていたと言います。門の前では修学旅行の生徒が記念写真を撮っていました。
ここから再び遊歩道をたどると東院庭園です。数年前に発掘されたと言う庭園は平等院のモデルとなったところとか。説明してくれたボランティアの人の話しでは発掘はかなり大変だったようです。
池の石は往時の物を利用したが足りない物は紀伊の川から集め、石の裏には集めた石と言う印を付けたとか。また池のほとりに生えていた植物も発掘された葉や種子を調べ植物を特定したと言います。遺跡の発掘にはたくさんの人の努力と知恵が必要なのでしょう。
平等院や毛越寺の浄土庭園に比べ石組みなどは少ないようですが、往時の宮廷の雅さを今に伝える庭園です。
奈良盆地北端、現在の奈良市西郊に唐の都長安に範をとって造営された都城。710年元明天皇が藤原京から遷都。784年桓武天皇が長岡京に遷都するまで、天平文化の中心地として繁栄した
第43代天皇(在位:707年7月17日~715年9月2日)天智天皇の皇女。文武天皇・元正天皇の母。女帝。和同開珎鋳造、平城遷都や古事記、風土記の編纂が行われた。陵墓は奈良県奈良市奈良阪町の奈保山東陵。
飛鳥時代、持統天皇・文武天皇・元明天皇の都(694~710)。奈良県橿原市高殿を中心とする大和三山に囲まれた地域にある。中国式の条坊制を採用した日本最初の都城とされる。大極殿・朝堂院・官衙などの遺跡が発掘されている。
第50代天皇(在位:781年4月3日~806年3月17日)光仁天皇の皇子。794年、都を平安京に遷した。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣するなど朝廷権力を大きく伸長した。陵墓は山城国紀伊郡柏原にあり柏原天皇とも呼ばれる。陵墓は京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎の柏原陵。
784年より10年間、現在の京都府向日市・長岡京市付近に置かれた古代の都。桓武天皇は平城京からこの地に移ったが造都の中心人物藤原種継の暗殺など、不祥事件続発のため794年平安京に遷都。