雲取山は奥多摩には少ないテント山行の対象となる登山コースです。三峰山神社から雲取山の山頂を目指したのは20年前のゴールデンウィーク、20リットルのハイキングザックに寝袋を付けて山頂を目指した記憶が残っています。
首都圏から近いことから何時でも行ける山と言うこともありましたが、雲取山はそれ以来となる山行です。
小袖駐車場10:30-(1h05m)-1015m付近11:35/12:00-(0h50m)-1350m付近12:50/13:30昼食-(1h05m)-1635m付近14:35/55-(0h10m)-ブナ坂分岐15:05/15-(0h35m)-奥多摩小屋15:50 (テン泊)、歩行時間3h45m
自宅から圏央道の日の出インターへ、ここから国道411号線で奥多摩湖湖畔の鴨沢を目指しました。
国道から小さく登った集落に駐車スペースがありました。近くで出会った親切な叔母さんの話しではこの上にも駐車場があるとか。近道があるものの登ると30分ほどかかると言います。
たどり着いた広い駐車場には平日にもかかわらす10台ほどの車が停まっています。朝早くこの駐車場を出発すると日帰りも可能と言います。
登山口は100mほど進んだ林道の脇から、杉木立の中を登って行く道は良く整備された緩やかな登りです。しばらく登って行くと荒れ果てた耕作地が幾つか、大きな廃屋も残っています。右手の沢には小さな集落もあるようですがこのような山上での耕作はなかなか厳しいものがありそうです。
暗い杉林の中はそれほど暑くないもののテント装備のザックは肩に堪えます。日帰りなのかハイキングザックを背負った若者が追い越して行きました。緩やかに登って行く登山道は七ツ石山から派生する小尾根を巻くように登って行きます。
途中、道端で昼食をとったのち小尾根を巻きように登ると七ツ石小屋への分岐です。小屋まではおよそ8分、冷たい水と広い展望との案内板を右に巻き道をたどることにしました。
桟道や石垣の積まれた巻き道は緩やかに登って行きます。やがて七ツ石小屋からの道を合わせると程なくブナ坂にたどり着きました。右手に登って行く道は七ツ石山へ登る道、唐松谷を経て日原に下る道も分かれていました。
ここからはマルバダケブキの咲く明るい稜線歩きに道です。やがて広く開けた奥多摩小屋のヘリポート、目指す奥多摩小屋は右手の林の中にありました。
今夜このテン場に泊るのは我々を含め5組です。そろそろ日の長い時期が過ぎ去ろうとしているようで、食事を作ってしばらくすると辺りを夕闇が包み始めてきました。
奥多摩小屋7:25-(0h35m)-小雲取山8:00/10-(0h25m)-雲取山避難小屋・雲取山8:35/9:30-(2h10m)-1635m付近11:40/12:20-(0h45m)-1015m付近13:05/20-(0h50m)-小袖駐車場14:10
早朝の富士山は笠雲がかかっています。好天に恵まれるのも昨日と今日の2日だけで、日曜以降は台風の影響を受ける可能性もあるとか。食事のあとテントを撤収し山頂を目指すことにします。
奥多摩小屋からは急な登りが始まります。途中からマルバダケブキの咲く巻き道を登ると明るい尾根道の登りになります。振り返ると登山道の先に七ツ石山の頂、青く霞む丹沢の山並みの先には笠雲を被った富士山がそびえていました。
小雲取山への急な登りに汗を流すと雲取山の山頂は指呼の間です。明るい草原状の尾根道を登ると雲取山の避難小屋にたどり着きました。
ここで出会った夫婦連れのハイカーは四国の人、昨夜は三条ノ湯に泊ったと言います。明日は金峰山に登ったのち羽田から飛行機で帰ると言っていました。
雲取山の山頂は避難小屋の裏手です。山頂には1等三角点と明治時代に設置された原三角点があります。
雲取小屋方面から登ってきた初老の男性は宮崎の人、三峰山から4時間で登ってきたと言いますからかなりの健脚です。百名山もあと僅か3つとか、明日は金峰山と瑞牆山。そのあとは皇海山で100の頂に立てると言っていました。
予定では飛竜山から三条ノ湯に下ってから小袖に戻る予定でしたが体調もいま一つ。おとなしく往路をたどり登山口を目指すことにします。
下るにつれ気温も上がっているようで汗も噴き出してきます。道端で出会った中年の人も暑い下界に下って行くのはもったいないと言っていました。