水天宮 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:文政元年(1818)
 主祭神:天御中主大神安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼
 札所:ー
 本殿の形式:権現造
 境内社:紫灘神社、弁財天、秋葉神社、火風神社、高尾神社
 所在地:東京都中央区日本橋蛎殻町2丁目4ー1
 訪問日:2026年1月6日

 

東京都中央区日本橋牡蠣殻町にある神社です。久留米藩主有馬頼徳公が港区赤羽の藩邸内に久留米市水天宮の御分霊を勧請して創建したと言います。藩邸の移動に伴い青山への遷座を経て明治5年当地に遷座しました。

コンクリート造りの駐車場の上に境内
随身像はコンクリート壁の中
随身像はコンクリート壁の中
大きな狛犬
御手水場
境内に摂社
拝殿の前に参拝客
拝殿に神額

2018年、江戸遷座200年を記念としてコンクリート造りの基壇の上に建てられた現代的な社殿です。随身像もコンクリート壁の中にあります。

ご祭神は天御中主大神と平家ゆかりの三神です。久留米藩主・有馬家は安徳天皇を祀る筑後国の水天宮を守護していたことから、平家の神々がご祭神となったのでしょう。

 

 《御祭神》

天門中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)

安德天皇 第八十一代、高倉天皇の中宮 安徳天皇の母君御名孫子

建礼門院 平清盛の妻 御名 時子 安徳天皇の祖母

二位ノ尼 建礼門院の母

当社は文政元年(一八一八)港区赤羽に在った有馬藩邸に当時の藩主第九代・有馬頼德公が久留米城下に鎮座していた水天宮の御分霊を藩邸内に祀ったこと創まります。

壇之浦の戦で敗れた平家の女官の一人が源氏の目を逃れ筑後川の河畔に落ちのび、一門と共に入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊を、ささやかな祠をたててお祀りしたのか、水天宮の創めです。

江戸時代の当社は藩邸内に在った為、庶民は普段参拝できず門外より賽銭を担げ入れて参拝したと伝えられます。ただし毎月五日の縁日に限り、殿様の特別な計らいによって藩邸が解放され、参拝が許されました。

その当時、ご参拝の妊婦の方の鈴乃緒(鈴を鳴らす茜の鈴紐)のお下がりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ、ことのほか安産だったことから、人づてにこの御利益が広まりました。その当時の当社の賑わいを表す流行り言葉に、「なさけありまの水天宮」という語る言素があった程です。明治維新により藩邸が接収され、有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治五年十一月一日に現在の牡蠣殻町に御鎮座致しました。

関東大震災では神社も被災しましたが、御神体は隅田川に架かる「新大橋」に避難し難を逃れました。その後復興も成り、昭和五年に流れ造りの社が完成し、昭和四十二年には権現造りの社殿となりました。

現在の社殿は平成三十年の江戸鎮座二百年を迎えるにあたって、有馬家十七代当主・当代宮司の有馬頼央の念願により、平成二十八年に境内地全面免震構造の建物として完成しました。

平成二十八年四月五日 水天宮

 

 安徳天皇(あんとくてんのう)

第81代天皇(在位:1180年2月21日~1185年3月24日)高倉天皇の皇子。母は平清盛の娘建礼門院徳子。2歳で即位、平宗盛に擁せられて西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。陵墓は山口県下関市阿弥陀寺町の阿弥陀寺陵。

 

 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)

天地のはじめに天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)神皇産霊尊(かみむすびのみこと)とともに高天原にあらわれた造化三神の一神。天照大神(あまてらすおおみかみ)とともに高天原を主宰する。

 

 造化三神(ぞうかさんしん)

天地開闢(てんちかいびゃく)のときに高天原に出現し万物生成化育の根源となった三神。天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)神皇産霊神(かみむすひのかみ)高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の三神で性別を持たないとされます。

 

 高倉天皇(たかくらてんのう)

第80代天皇(在位:1168年2月19日~1180年2月21日)後白河天皇第7皇子。在位中は平清盛の隆盛時にあたりその娘徳子を中宮とした。陵墓は京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町の後清閑寺陵。

 

 平清盛(たいらのきよもり)

1118~1181年、平安末期の武将。平忠盛の長男。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元の乱・平治の乱により対立勢力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ官職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。

 

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