大蔵寺 


 寺社の種類:曹洞宗の寺院
 山号:般若山、院号・廣福院
 創建の時期:鎌倉期(正治2年・1200年頃)に創建、開基・兵衛尉相原左近(源頼朝の家臣、中山村相原家の祖)
 本尊:釈迦如来
 札所: ー
 所在地:神奈川県横浜市緑区中山29ー666
 訪問日:2025年11月24日

 

横浜市緑区中山にある曹洞宗の寺院です。

大蔵寺の石柱
境内に石仏
稲荷神社の鳥居
稲荷神社の祠
境内にお地蔵さんと庚申塚
境内の六地蔵
子育て地蔵
境内の閻魔大王像
典座和尚と若き日の道元禅師像
境内の観音像
御手水場
本堂
本堂の扁額
本土の内部

境内には稲荷神社が祀られています。文化の頃に勧請された古い稲荷神社です。

境内には宗に渡った道元禅師と典座和尚の出会いを物語る石像が置かれていました。典座は食事の準備で曹洞宗の作務の根幹になったと言います。

《大蔵寺稲荷神社(正一位開運稲荷神天)》 現地の案内から

大藏寺 第十一世俊峯雲外大和尚の代、 文化十年(西暦一八一三) 九月に山城国伏見(京都府)の本宮 【伏見稲荷】より大蔵寺の鎮守様として奉勧遷した社。

お稲荷様は、田畑の神信仰に由来し、狐が田畑の神、また、その使いとされる農業神である。

稲荷神は、自在の通力をもつ荼枳尼天と同じとし、諸々の祈願を成就させる霊険あらたかな福神でもある。

大藏寺では、毎年二月十一日に初稲荷の大祭を勤修している。

《若き日の道元禅師さま》 現地の石碑から

他は是れ吾にあらす更に何れの時をか待たん

二十四歳の時正法を求め唐に渡り天童山に在りし時、本府の用典座、職に充てらる。

予、斎罷るに因り、東廊を過ぎて超然斎に赴けるの路次、典座、仏殿前に在つて苔を晒す。

手に竹杖を携へ、頭には片笠も無し。

天日熱く、地甎熱す。汗流して徘徊すれども力を励まして苔を晒す。

稍苦辛するを見る。背骨は弓の如く、?眉(ほうび)は鶴に似たり。

山僧、近く前みて便ち典座の法壽を問ふ。

座 云く 六十八歳なり。

山僧云く 如何ぞ行者人工を使わざる。

座 云く 他は是れ吾にあらず。

山僧云く 老人家、如法なり天日且つ恁のごとく熱し、如何ぞ恁地にする。

座 云く 更に何れの時をか待たん。

山僧、便ち休す。廊を歩むの脚、潜かに此の職の機要たることを覚る。

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

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