中原御殿跡 


 観光地の種類:石碑
 所在地:神奈川県平塚市御殿2丁目7ー9
 訪問日:2025年10月24日

 

徳川家康が江戸と駿府を往復する際や鷹狩の宿舎として利用した中原御殿の跡です。現在は平塚市立中原小学校の敷地内に碑が建てられています。

相州中原御殿之碑
中原御殿跡の案内板
中原御殿跡の案内板

《中原御殿》 現地の案内板

徳川家康が鷹狩りなどの折りに宿泊所とした中原御殿が、中原小学校を含む一帯にありました。

御殿の規模は東西78間(約141m)、南北56間(約101m)で、四方に幅6間(約10m) の堀をめぐらし、東側を表としていました。

御殿が造られたのは、慶長元年(1596)ともいわれますが、 諸説があります。寛永19年(1642)に修復されますが、明暦3年(1657)には引き払われました。

その後、跡地には松や檜が植えられ、その中に東照宮が祀られました。その様子は「中原御宮記」 (平塚市指定重要文化財)の巻頭に長谷川雪提の筆によって描かれています。

平成13年(2001)3月 平塚市

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