法光院 


 寺社の種類:真言宗豊山派の寺院
 山号: 梅牛山、寺号:林泉寺
 創建の時期:元禄年間(1688~1704年)
 本尊:不動明王
 札所:四国八十八ヵ所御砂踏み霊場、東三十三ヶ所観音霊場 第12番札所
 所在地:千葉県松戸市松戸1842
 訪問日:2025年10月10日

 

千葉県松戸市にある真言宗豊山派の寺院です。正確な創建年は不明ですが、元禄年間(1688?1704年)に松戸宿の整備に伴い現在地に移転したと伝えられています。

法光院の石柱
千葉周作修行の地
境内に四国八十八ヶ所の石仏
境内に四国八十八ヶ所の石仏
本堂の内部
境内のお堂
コンクリート造りの本堂
本堂の内部
本堂わきにお堂
境内に六地蔵

《千葉周作修行の地 千葉周作居宅跡・浅利道場跡・浦山寿貞墓所》 葛飾区教育委員会

幕末の剣豪、千葉周作は文化六年二八〇九年)十五歳の時一家で陸前国(岩手県) 荒谷村から松戸宿に転居、馬医者を営む父の忠左衛門(幸右衛門)は浦山寿貞(うらやまじゅてい) と称してこの参道付近に開業します。また、幼時から剣術に長けた周作が入門した浅利又七郎の道場が、宝光院と善照寺の間にあったと言われています。

周作は又七郎の下で才能を開花、二十三歳で又七郎の師江戸の中西忠兵衛に入門し、数年の後には免許皆伝を詩されます。のちに又七郎の娘婿となり道場の後継者として期待されますが、流儀に対する考えの違いから免許を返上、 離縁してしまいます。

修行の旅に出た周作は「北辰一刀流」を編み出し、神田に 「玄武館」を開きます。周作の合理的な剣法は評判を集め多くの門弟を輩出するに至りました。

浅利道場の建物は現存しませんが、宝光院境内に又七郎の供養碑がまつられています。周作の父、浦山寿貞は天保二年(一八三一年)に没、その墓所もこの境内にあります。

 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)

真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。

 

 不動明王(ふどうみょうおう)

五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。

忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。

 

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 覚鑁(かくばん)・興教大師

平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。

 

 専誉(せんよ)

真言宗豊山派の祖。紀伊根来寺の玄誉(げんよ)、頼玄(らいげん)に師事。天正13年豊臣秀吉の根来攻めにあい高野山にのがれる。15年豊臣秀長にまねかれ大和長谷寺にはいりった。

 

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