浅草神社 
寺社の種類:旧郷社
創建の時期:推古天皇36年(628年)
主祭神:土師真中知命、桧前浜成命、桧前竹成命、東照宮
本殿の形式:権現造
境内社:被官稲荷社
札所:浅草七福神の恵比寿神
所在地:東京都台東区浅草2丁目3ー1
訪問日:2025年6月6日
東京都台東区浅草にある神社です。
『「三社様」として親しまれています。浅草寺のすぐ隣に位置し、推古天皇36年(628年)に創建されたと伝えられています。
浅草寺の創建に関わった土師真中知命(はじのまなかち)、檜前浜成命(ひのくまのはまなり)、檜前武成命(ひのくまのたけなり)の三柱を祭神として祀っています。これらの人物は、隅田川で聖観音菩薩像を発見し、浅草寺の起源となったとされています。
江戸時代には、徳川家光の寄進により社殿が再建され、現在の社殿は慶安2年(1649年)に建立されたものです。この社殿は戦災を免れ、国の重要文化財に指定されています。』(copilot.2025/6)
浅草観音から続く境内はたくさんの観光客で賑わっているところです。海外からのお客さんでしょうかレンタルの和服に着替え境内を散策していました。
御祭神 土師真中知命(はじのまなかちのみこと)、檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)、檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)
御神德 家内安全・商売繁昌・心願成就
御由緒
推古天皇三十六年(六二八)三月十八日の朝、漁師の檜前浜成・檜前武成兄弟が、浅草浦(現在の隅田川)で漁労に精を出していたところ、その日に限り一匹の魚も獲れず、投網に掛かるのはただ人形の尊像だけで、幾度か海中に投げ入れ場所を変えても同じ事の繰り返しです。
流石に兄弟は不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形より上陸し槐の木の切株に安置しました。
当時、郷土の文化人であった土師真中知に一見を請うたところ、現世御利益の尊い聖觀世音菩薩の仏像であるを告げられました。
土師氏は間もなく剃髪して僧侶となり、自宅を新たに寺構え、先の観音像を奉安し、供養護持の傍ら郷民の教化に生涯を捧げました。いわゆるこれが浅草寺の縁起となります。
後世となり土師氏の子孫が聖觀世音菩薩の夢告を蒙り、郷土発展の功労者である祖先等を浅草寺の傍らに鎮守するように告げられ、前述三氏を郷土神として祀る三社権現社が茲に創建されました。
奇しくも、明治元年の神仏分離にりよ社名を三社明神社と改め、同五年には社格が郷社に列せられ、翌六年は浅草郷の総鎮守として現在の浅草神社に定められました。そして今でも、氏子の方々にはその名残から「三社様」と親しまれています。
御社殿
現在の御社設は慶安年二(一六四九)に德川三代将軍家公光より寄進・建立されたもので、本殿に幣殿を付属せさ、渡りの間で繁いだ拝殿からなる権現造り風の様相を呈し、柱や壁等各部の漆塗りと随所には彩極色を用たい彫刻・刳形が施され、その細部に至る手法は時代の象徴を示しています。
江戸の大火をはじめ関東大震災や東京大空襲等の被災を奇跡的に免れ、昭和二十一年に国宝建造物に、更に昭和二十六年には国の重要文化財に指定され、江戸初期を代表して現存する貴重な木造建築物です。
これまでも各時代に修復作業が度々行われており、現代においては昭和三十六~三十八年の昭和の修営、平成六~八年の平成の大修営に依って、その荘厳さが見事に復刻・再現されました。
三社祭
浅草神社の子氏四十四ヶ町を中心に五月第三金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。
祭礼最終日は、「一之宮」「二之宮」「三之宮」の各町渡御として、早朝より神社境内から担ぎ出される「宮出し」が行われ、日中は氏子各町を三方面に分かれ渡御し、日没後に境内に戻る「宮入り」を迎えて祭礼行事が終わります。
祭礼期間中は浅草の街がお祭り一色に彩られ、神社では各神事が斎行されると共に、境内や神楽殿においても様々な舞踊が披露されます。