鳥越神社 
東京都台東区鳥越にある鳥越神社は
『創建は白雉2年(651年)とされ、日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神として祀っています
もともと「白鳥神社」として創建されましたが、源頼義・源義家が前九年の役の際にこの地を訪れ、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り、隅田川を渡ることができたことから「鳥越大明神」と改められたと伝えられています。』(copilot.2025/6)
鳥越神社の例大祭(鳥越祭)は、毎年6月に開催され、都内最大級の千貫神輿が渡御することで知られています。境内ではそろいの半纏を着た地元に人たちでお神輿の蔵出しが行われていました。
鳥越神社の御創立は遠く孝徳天皇の御代白雉二年五月と申しいまより千三百年の昔のことでごさいます。御祭神は景行天皇の皇子日本武尊にましまし、尊は東夷を御征伐の御時この所に暫く御駐在遊ばされましたので、土地の人々はその御徳を慕い尊び奉って御社に御祭り申し上げたのです。
鳥越神社はごく古くは白鳥神社と申しておりました。これは祭神日本武尊がお薨れの後白い鳥におなりになったと言ふ傳へから起って居りまして尊をお祭りした。御社にて多くこの御社名があります。
然るに今から八百五六十年も昔の永承年間の頃かの名高い八幡太郎義家公がお父上の賴義将軍と奥州征伐においでになりました時、その頃は此の辺が一面の海でしたから向ふ岸に渡ることが出来ないので河原に陣をしいて、どこかに浅瀬がないものかと色々お探しになりました所がその時白い島が飛んで来て何か教へる様に見えましたのでその鳥の行くえをお探しになりますと、なんなく浅瀬親がわかりましたから直ちに軍勢をやすやすと渡すことが出来ました。
義家公はたいそうお喜びになって一体此ここは何んと言う所であろうかとお尋ねになりました時、土地の人はこゝは武蔵野の原の一部で名も無い所ですが日本武尊をお祭リした白鳥大明神の御鎮座の所ですとお答え致しました。
すると義家公はハタと手を打たれおゝそれでは疑う所も無い白鳥大明神の御加護であろう幸先の良いことであると申されて禮を厚くして御社にお参りになり、鳥の越えて浅類を教えられた此の●縁を以て此の後は鳥越大明神と申し上げる様にと御名を奉られたのです。
六月 鳥越神社務所
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
日本神話に登場す神様、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神。天孫降臨に従った五伴緒神(いつとものおのかみ)の一神。中臣氏、藤原氏の祖神。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。
1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。
天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。
1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。
慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。