東京都港区高輪にある浄土宗の寺院です。
『1602年(慶長7年)に証蓮社誠誉上人によって開山されました。本尊は阿弥陀如来で、開山の証蓮社誠誉上人は安芸国(現在の広島県)から阿弥陀如来像を担いで江戸まで来たと伝えられています。
境内には「牛供養塔」があり、これは荷車を引く牛を供養するために運搬業者が建てたものです。また、港区の文化財にも指定されている「二千七百六十人之霊供養塔」もあります。』(copilot 2025/4)
《港区指定有形文化財・牛供養塔及び二千七百六十人之霊供養塔》 現地案内板
牛供養塔は、願生寺門前の車町の牛屋七家によって、牛供養のため元文三年(一七三八)に建立されたのをはじめとします。車町は俗に牛町ともいい、江戸幕府が江戸城増築などの際に重量物の運搬をするために招いた京都牛町の牛屋をこのあたりに常住させていました。
現在の塔正面に刻まれた「南無阿弥陀仏」の題字は江戸時代中期の高僧祐天上人(一六三七から一七一八)の書を写し刻んだもので、文政十一年(一八二八)に建立されたものです。祐天は、将軍から庶民にいたるまで生き仏として尊敬された人物で、その功徳を願って筆跡を写し、建てられたものと思われます。
二千七百六十人之霊供養塔は、元禄二年(一六八九)から文政十三年三月十五日までに無縁となった人々の霊の供養のために文政十三年に建立された供養塔です。碑正面には牛供養塔と同様に祐天上人の筆跡を写した「南無阿弥陀仏」の文字が彫られています。
江戸で唯一の牛町の存在を伝える歴史資料として、また庶民の信仰を示す資料としても貴重といえます。
平成二十年九月九日指定 港区教育委員会
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。