東京都国立市にある天台宗の寺院です。『かつて存在した天台宗梅香山安楽寺の子院の一つです。安楽寺は1014年(長和3年)に創建され、谷保天満宮の別当寺として神社の管理や祭祀を執り行っていましたが、明治時代の神仏分離政策と火災によって廃寺となりました。
滝之院には、旧安楽寺にあった貴重な仏像や仏具が移され、現在は谷保天満宮の宝物殿に保管されています。また、滝之院墓地には庚申塔や不動明王像などの市登録有形文化財があります。』(copilot 2025/4)
《滝之院の由來》 現地の石碑
滝之院は、今はなき天台宗安楽寺という寺院の子院六坊の中の一つ滝之坊(滝本坊とも云う)に由来します。
海香山安楽寺は、谷保天満宮の別当寺として平安時代の天暦元年(九四七)に方圓阿闍梨により天神島(府中市日新町)に建立されました。安楽寺はその後鎌倉時代初期の養和元年(一一八一)、菅原道真公の子孫津戸為守により天満宮と共に此の谷保の地に遷座され、あわせてその子院六坊が建立されました。
六坊とは、梅本坊・松本坊・桜本坊・尊住坊・邑盛坊そして滝之坊の六つで、いずれも安楽寺に属していましたが、次第に衰微し、江戸時代中頃には僅かに滝之坊だけが滝之院として残りました。
安楽寺はもと本院の西隣にあり、調布市の深大寺の末寺で、谷保天満宮の別当寺つまり付属寺院として、長い歴史を有してきましたが、明治維新の際、神仏分離により廃寺となってしまいました。
滝之院は、明治以降は地域の共同墓地となり、現在では宗派を越えた二〇〇を超える墓域を擁しています。
滝之院の持仏堂に安置されている仏像仏具はいずれも旧安楽寺の什物であり、その信仰は今日まで守られています。
平成二十三年八月滝之院墓地管理組合
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。