東京都府中市にある薬師堂です。境内には国宝と言う金銅造り阿弥陀像収めた宝物殿があります。お堂の前の石碑には阿弥陀如来の縁起が紹介されていました。国指定の重要文化財で年に一度公開されると言います。
《阿弥陀如来》 現地の案内板
抑比阿弥陀如来像は元上州八幡庄にあり、里見の城主里見刑部少輔義胤入道元弘三年五月、新田義貞の挙兵に馳せ参じ比尊像を捧呈し義真陣中守護に奉戴し武蔵野井国府原分倍河原の合戦に北條の大量を打破り鎌倉を滅ぼし建武の中興を成し遂げ得たるは偏に比霊験にして義貞関戸に逗留の日、堀上春森に此神像を安置し鎌倉凱旋の砌夥多の神績を寄進し此所に勧請したる南朝守護の神像なり
其後承應二年王川洪水のため現地に遷座せられ延元の昔より永く奉安したる由緒ある神体なり
王蔵院は遷座の當初より修験たる清水丹後守光定比地に住し代々八幡宮の別當職たるも明治の初め他に移り像も亦売拂われ転々せられしが遇々徳川家達公の夢枕に立ち染谷に戻してとの霊夢に感じ現地に持帰り爾来不動堂に安置せられ昭和二年八月狛江市和泉石井正義翁苦心調査の結果比佛像を見出した逸品にして其後国宝に指定され宝庫に収め一般の参詣に便ならしめ此土地所有者調布市矢ケ崎の住人鈴木太右衛門氏は常に敬神崇祖の念厚く昭和四年十月敷地二十五坪を寄進興復に努力せられ今又嗣子喜六氏父の志を継ぎ茲に記念碑を建て六百有餘年の昔を回顧し永遠に其由表を保存せんとし予に其経緯を記さしむ
顧ふに比地国府に近く鎌倉街道の要衝にあり甲州街道に沿ひ京王電鉄の駅近く南涯の上にして富士の霊峰を朝に仰ぎ武藏野の月を夕に眺め山紫水明の多摩川河畔多磨霊園入口に位する所なり、此地を過ぎて比碑を覧る者布くは感発する所あれ