東京都新宿区西念寺坂にある浄土宗の寺院です。
西念寺は『徳川家康の家臣であり、忍者としても有名な服部半蔵正成によって開基されました。
徳川家康の長男・松平信康の供養のために建立され、服部一族の菩提寺としても知られています。境内には、服部半蔵の墓や松平信康の供養塔があり、これらは新宿区指定の史跡となっています。』(copilot 2025/3)
境内の墓地には服部半蔵の宝篋印塔が建っていました。
《服部半蔵の槍 》 新宿区教育委員会の案内板
■ 服部半蔵の槍
「鬼の半蔵」の異名を持つ服部半蔵(1542~1596)が、元亀三年(1572)の三方ヶ原の戦の戦功により、徳川家康より拝領したと伝えられる槍で、半蔵が開基となったこの西念寺本堂に現在も保存されている。
第二次世界大戦の空襲により焼損するなど槍先と柄の一部が欠けているため、現状では全長258センチメートルである。
戦国時代の槍が、半蔵が創建した西念寺に伝存している点で貴重な歴史資料である。
■ 服部半蔵と西念寺
服部半蔵は、徳川家康の旧臣で、槍の名手として、また、伊賀者の頭領として知られている。
家康の長男、信康の切腹に際し、介錯を命ぜられた半蔵は、任を果たすことができず、以後信康の冥福を祈るため仏門に入った。
その後、寺院を建立し、山号、寺号は半蔵の法名から取り「専称山安養院西念寺」とした。寛永十一年(1634)江戸城外堀の開削に伴い、西念寺は現在地に移転した。
境内には、服部半蔵の墓と信康の供養塔がある。(共に区指定史跡)
《服部半蔵の墓 》 新宿区教育委員会の案内板
服部半蔵(1542~96)は、本名を正成といい、徳川家康の三河以来の旧臣で、家康十六将の一人に数えられる武将である。
「鬼の半蔵」として知られ、元亀三年(1572)三方ヶ原の戦い、天正十八念(1590)小田原攻めで功をあげ知行八千石を賜り、同年の家康の江戸入府後は、江戸城西門近くに居を構え、城の警備等にあたった。半蔵門の名は彼の名に由来する。
半蔵は、天正七年(1579)家康の長男信康が切腹する際介錯役を命じられた。しかし、これを果たせず、晩年、信康の菩提をとむらうため麹町清水谷に庵を建て、西念と号し、仏門に帰依した。
文禄二年(1593)には家康から寺院を建立するよう内命をうけたが、慶長元年(1596)十一月、五十五歳で没した。西念寺は、半蔵の没後完成し、寛永十一年(1634)江戸城の外堀拡張・新設の際現在地に移転したものである。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。