東京都大田区にある日蓮宗に大本山です。Wikipediaによると池上本門寺は日蓮入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつにも挙げられています。
弘安5年(1282年)日蓮は身延山を出て湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。途中武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に到着。10月この地で没することになります。
日蓮が没すると、池上宗仲は広大な寺領を寄進、以来池上本門寺と呼びならわされています。その後は日蓮の弟子・日朗が本門寺を継承しました。
本門寺は、鎌倉・室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、近世に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり栄えました。
表参道96段の此経難持坂(しきょうなんじざか)は慶長年間(1596年?1615年)に清正公が寄進したと伝えられています。また境内の墓地には前田利家側室の層塔があります。側室の寿福院は豊臣秀吉の没後、徳川家との微妙な主従関係を解決するため江戸に人質として差し出され江戸で病没したと言います。
仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。
鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。
仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。