川崎市中原区にある浄土宗の寺院です。
Copilotによると泉澤寺は、1491年(延徳3年)に吉良氏によって創建されました。現在の場所に移転されたのは1550年(天文19年)です。
泉澤寺には、阿弥陀如来立像や木造四天立像などの重要な文化財があります。また、本堂は1778年(安永7年)に再建されたものです。
《泉澤寺の文化財》川崎市教育委員会の案内板
当寺は、延徳3年(1491)、武蔵国多摩郡烏山(現・東京都世田谷区)に、吉良氏の菩提寺として創建されました。その後、天文18年(1549)、堂宇がことごとく焼失したため、その翌年、世田谷領主吉良頼康が、現在の中原区上小田中に新しく建立しました。
当寺には、中・近世からの歴史を物語る数多くの文化財が所蔵されており、次の文化財は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。
古文書では、当寺再興に関する吉良頼康関係の判物、北条氏政の禁制(虎の印判状)、徳川家康の代官神谷重勝の寺領朱印状下附に関する書状、徳川氏奉行人連署奉書があります。
仏像では、江戸城内にあった五代将軍徳川綱吉の霊廟に祀られていた木造・四天立像(広目天・多聞天梵天・帝釈天)と、南北朝時代(14世紀)制作の銅像・阿弥陀如来立像が所蔵されています。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。