泉澤寺(たくせんじ) 


 寺社の種類:浄土真宗
 山号:宝林山、院号:運昌院
 創建の時期: 延徳3年(1491年)、開山:好善、開基:吉良頼高
 札所:準西国稲毛三十三所観音霊場17番札所
 所在地:神奈川県川崎市中原区上小田中7丁目20ー5
 訪問日:2025年2月8日

 

川崎市中原区にある浄土宗の寺院です。

Copilotによると泉澤寺は、1491年(延徳3年)に吉良氏によって創建されました。現在の場所に移転されたのは1550年(天文19年)です。

泉澤寺には、阿弥陀如来立像や木造四天立像などの重要な文化財があります。また、本堂は1778年(安永7年)に再建されたものです。

泉澤寺の山門
境内に石仏
泉澤寺の文化財
観音堂
御手水場
本堂
本堂
鐘楼
境内にチャボヒバ
保存樹のチャボヒバ

 

《泉澤寺の文化財》川崎市教育委員会の案内板

当寺は、延徳3年(1491)、武蔵国多摩郡烏山(現・東京都世田谷区)に、吉良氏の菩提寺として創建されました。その後、天文18年(1549)、堂宇がことごとく焼失したため、その翌年、世田谷領主吉良頼康が、現在の中原区上小田中に新しく建立しました。

当寺には、中・近世からの歴史を物語る数多くの文化財が所蔵されており、次の文化財は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。

古文書では、当寺再興に関する吉良頼康関係の判物、北条氏政の禁制(虎の印判状)、徳川家康の代官神谷重勝の寺領朱印状下附に関する書状、徳川氏奉行人連署奉書があります。

仏像では、江戸城内にあった五代将軍徳川綱吉の霊廟に祀られていた木造・四天立像(広目天・多聞天梵天・帝釈天)と、南北朝時代(14世紀)制作の銅像・阿弥陀如来立像が所蔵されています。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 阿弥陀如来(あみだにょらい)

大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗浄土真宗時宗などの浄土教宗派が成立した。

阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)

法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。

 

 時宗(じしゅう)遊行宗(ゆぎょうしゅう)

日本仏教の一宗派。念仏系の宗派で1276年一遍(いっぺん)が開いた。阿弥陀経を根本経典とし経中の臨命終時の言葉を宗の名とした。

 

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