養福寺 


 寺社の種類:真言宗豊山派の寺院
 山号:補陀落山、院号:観音院
 創建の時期:元和6年(1620年)、開山:法印乗蓮
 札所:荒川辺八十八ヶ所霊場7番札所、豊島八十八ヶ所霊場73番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場27番札所、東京三十三観音霊場28番札所
 所在地:東京都荒川区西日暮里3丁目3ー8
 訪問日:2025年1月24日

 

日暮里駅近く、諏訪台通りにある真言宗豊山派の寺院です。

養福寺の仁王門
境内の石灯籠
仁王像
鐘楼
大きな本堂
境内の宝篋印塔
六地蔵
庚申塔
お地蔵さん
養福寺と文人たち

Copilotによると元和6年(1620年)に法印乗蓮によって開山され、木食義高によって中興されました。江戸時代には徳川将軍が鷹狩りの際にこの地を訪れることがあり、隣接する浄光寺が休憩場所として使われました。

養福寺には、宝永年間(1704年~1711年)に建立された仁王門があり、その中には運慶作とされる仁王像が安置されています。また、境内には俳人山崎北華(自堕落先生)の墓や、談林派の歴代句碑などもあります。

 

《養福寺と文人たち》 荒川区教育委員会

養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の木食義高(享保三年没)によって中興されたという。

江戸時代、多くの文人たちが江戸の名所である「日暮里」を訪れ、その足跡を残した。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などからなる『談林派歴代の句碑(区指定文化財)』や、江戸の四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた「柏木如亭の碑」、畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生の墓」などまざまな文人の碑が残る寺として知られている。

 

 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)

真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。

 

 如意輪観音(にょいりんかんのん)

六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。

 

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 覚鑁(かくばん)・興教大師

平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。

 

 専誉(せんよ)

真言宗豊山派の祖。紀伊根来寺の玄誉(げんよ)、頼玄(らいげん)に師事。天正13年豊臣秀吉の根来攻めにあい高野山にのがれる。15年豊臣秀長にまねかれ大和長谷寺にはいりった。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

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