日暮里駅近く、諏訪台通りにある法華宗本門流の寺院です。
Copilotによると元和元年に円住院日立聖人によって創建されました。その後、元禄11年(1698年)に現在の下谷2丁目に移転し、明治18年(1885年)に現在の位置に移転しました。境内には、木造毘沙門天像や庚申塔などの文化財があり、荒川区の登録文化財にもなっています。
《木造毘沙門天像(啓運寺)》現地案内板
啓運寺は、法華宗(本門流)の寺院で、法要山と号す。当寺は元、上野(台東区)にあったが、慶応4年(1868)の上野戦争で戦火に逢って焼失し、明治18年(1885)に現在地に移転した。境内の毘沙門堂には、厨子内に木造毘沙門天像(区登録有形文化財)、厨子の手前に前立仏が安置されている。毘沙門天は、多聞天ともいい、四方を守護する四天王の一つであり、福徳富貴の神としても信仰されている。毘沙門天像の台座の裏には、「寛政9年(1797)8月吉辰、仏師伊東光雲」の墨書銘がある。
そのほか、境内には、延宝8年(1680)銘の庚申塔(区登録有形民俗文化財)がある。これには、「三守庚申三尸伏、妙法、七守庚申三尸滅」の銘文のほか36名の施主名が刻まれており、区内唯一の日蓮宗系の庚申塔である。