鎌倉時代の仁治3年(1241年)に日蓮上人が当地の館に宿泊し、後にその跡に法華堂が建てられた。帷子橋付近にあったが、津波で被災し、寛永2年(1625年)に現在地へと移転と言います。
《宗祖感得釋尊像安置》大蓮寺の由緒書き
日蓮大聖人御年21才の時、房州清澄山より比叡山へ陸路御遊学の途次、東海道保土ヶ谷宿、浄土宗の一民家に御宿泊の砌り、家兒釋尊像を玩弄せるを見たまいてその本末の誤れるを教示し自ら開眼感得せられたる釋尊像を安置す。
建長5年(1253年)4月大聖人開宗の際、その家主、大聖人に帰依し己が邸宅を法華堂と改め、寛永2年(1625年)正住院日圓上人の代に御霊跡妙栄山大蓮寺と称するに至りたるものなり、後に、養珠夫人(おまんさま)帰依参詣の折、中老僧日法上人御真作の宗祖木像及び境内に拓信一株の寄進を受け、法運愈々隆昌に現在に至る。
仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。
鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。