福正寺(ふくしょうじ) 


 寺社の種類:臨済宗建長寺派
 山号:金龍山
 創建の時期:鎌倉時代に天照林和尚が天台宗として開基、文禄2年(1318)通翁鏡円禅師が臨済宗に改め開山
 本尊:釈迦如来
 札所:狭山三十三観音霊場
 所在地:東京都西多摩郡瑞穂町殿ケ谷1129
 訪問日:2024年11月1日

 

参道の先の総門をくぐると本堂、そのわきには16阿羅漢尊者像が祀られています。石段を登った上には円通堂(観音堂)があります。江戸後期の1842年建立、瑞穂町指定有形文化財と言います。向拝には選仏堂の扁額がかかっていました。

高台には朱塗りの五重塔が建っています。興福寺の五重塔を1/7に再現したもので大日如来を安置しています。さらにその傍には弁財天堂、開山堂がありました。

この高台一帯は戦国期の村山土佐守の村山城の推定とされます。殿ケ谷という地名が残っていることからしても、この地域に居館があったことは確かなようです。村山土佐守は武蔵七党の一つ村山党の末裔で戦国時代は関東管領上杉氏の重臣大石氏に従いました。大石氏が北条氏の傘下に入ると村山氏も北条氏照に従いました。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡するとともに勢力を失い帰農したと言われます。

殿ヶ谷の山車
福正寺の石柱
福正寺の案内板
福正寺の四脚門
福正寺の総門
本堂
本堂の脇に16安阿羅漢尊者の石像
石段の上に円通堂(観音堂)
円通堂の祖何水子地蔵
五重塔
弁財天堂
開山堂

《福正寺の案内板》

天照林和尚(天台宗の僧)の開基にして、文保2年3月(1318)臨済宗として通翁鏡円禅師を勧請し、開山とした。晩年京都万寿寺に出世(花園法皇の論言による)更に五山上位南禅寺八世に正住さる(後醍醐天皇の詔命による)かくて両帝の帰依厚く、時に正中2年(1324)正月21日より27日の間、勅命により教家対禅家の一大宗論が清涼殿において展開された。その時禅家の大将として通翁鏡円禅師・副将として宗峰妙超禅師が出場して八宗の講師を負堕せしめて、その功により帝より輿駕を下賜され、一国の師翁なりと讃えられ、更に普照大光の国師号を刺諡される。

以来、16菊花紋を寺紋として、法灯連続二十八世の今日に至る。尚昔日当山に五塔頭有りと愚弁録にある。その間・八世峰和尚正眼寺を開く・九世梅室和尚円福寺を開く・十三世叟和尚三百五十遠年諱厳(中興開山なり)・十四世東林和尚砂川流泉寺を開く・二十二世法谷和尚五百年大厳修(1823)全国より法縁の和尚禅士参加記録法堂にあり・二十七世松濤和尚昭和41年六百五十遠年厳修。その折如来相設置する。昭和58年五重塔、十六大阿羅漢建立・昭和59年鎮守大弁財天再興金龍瀑築庭、平成2年開山堂再興、平成10年三解?門・平成十三年観音建立。平成24年平成の梵鐘。平成37年七百年大諱厳修。その折門・法堂改修並びに法堂前松龍庭作。

寺宝円通宝殿聖観世音菩薩・不動明王毘沙門天王・花園法皇・後醍醐天皇御尊影及牌・開山頂相・月叟寿像・十六菊花紋打敷三片・古記録・大般若経六百巻・十六善神一幅大涅槃画像・選仏場額・祈祷額・梅林香居士像・愚弁録一巻、「夢」「無」の大額・総門・鐘楼・法堂内陣彫刻・三十二相八十種好の如来相・元応二年(1320)板碑数基・樹令700年の貝多羅葉樹・法堂内清水寺貫主森清和尚「恩」「龍」の大額等々

 臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)

日本仏教の一宗派。臨済宗一四派の一つです。本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄。

 

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