阿豆佐味天神社(あづさみてんじんじゃ) 


 寺社の種類:旧郷社、式内社(小)
 創建の時期:寛平4年(892年)
 御祭神:天照皇大神、相殿:天日鷲命菅原道真公
 境内社:-
 本殿の形式:流造
 所在地:東京都西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷宮前1008
 訪問日:2024年11月1日

 

WikiPediaによると「阿豆佐味天神社の総本宮である。瑞穂町と武蔵村山市のほぼ境界上の狭山丘陵南麓部に位置する古社で、延喜式神名帳には武蔵国多摩郡八座の一座に数えられている」

石鳥居
境内に大きな石灯籠
奉納碑
石段の上に拝殿
赤い屋根の拝殿
拝殿の奥に本殿
御手水場
拝殿の扉
境内の摂社
石段の上に小さな社
境内の摂社

武蔵国多摩郡八座は阿伎留神社、小野神社、布多天神社、大麻止乃豆乃天神社、阿豆佐味天神社、穴沢天神社、虎柏神社、青渭神社、各々多くの論社があります。

阿豆佐味天神社は武蔵七党の一つ、村山党の氏神として崇敬を受けた神社です。殿ヶ谷の地名は村山党の居城があったことに由来していると言います。

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 天日鷲命(あめのひわしのかみ)

日本神話に登場する神。阿波国を開拓し穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波忌部氏の祖神。

 

 菅原道真(すがわらのみちざね)

平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。

のちに天満天神として崇拝されました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

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