赤い奉納幟が立ち並ぶ参道の先に急な石段があります。疲れた足にはなかなか辛い登りでした。本堂の彫刻はなかなか見事なもの、相原観音、坂下観音と呼ばれる聖観音像が祀られる観音堂は町田市の指定有形文化財に指定されていると言います。
《清水寺観音堂の案内板》
清水寺観音堂は、桁行三間・梁宇四間・正面一間に軒唐破風の向拝を設け宝形造・平入・銅板葺で四周に擬宝珠高欄付の縁を設けている。大きさは、桁行24.59尺(約7.45メートル)、梁行24.72尺(約7.49メートル)で、柱径は来迎柱、側柱とも0.995尺(約0.3三メートル)である。
向拝は二重肘木を用いた横拡りのある斗拱(ときょう)をくみ、向拝木鼻から中備まで龍の彫刻で飾り、堂本体とのつなぎも雲龍の丸彫になる。
堂の側廻りは、長押・頭貫・台輪でつながれ、柱上に尼垂木つき三手先斗拱をくみ、尾垂木は龍および模形の彫刻となり、軒支輪も浮彫で飾って、軒を二軒とする。当観音堂は本格的な三手先を用いながら彫刻装飾を多用した堂で、よく幕末期の傾向をあらわしている。建立は、嘉永3年(1850年)再建とされている。
《清水寺鐘楼の案内板》
清水寺鐘楼は、桁行一間・梁行一間・一重、四方吹放し、入母屋造・平入・銅板葺で中央に径2.37尺(約72センチメートル)の鐘を吊っている。
大きさは、腰貫の位置で方8.6尺(約261センチメートル)、柱径は最大径で0.78尺(約 24センチメートル)である。
頭貫を虹梁に替え、木鼻を獅子鼻とし、柱頂に台輪をめぐらす。
斗拱は柱上と柱間の中間に出組斗拱をくみ、琵琶板と支輪に朱雀・龍・虎・玄武の彫刻をはめ込む。天井は彩色を施した格天井である。
建立年代は天保13年(1842年)と想われる。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。