三福寺交差点にある浄土宗の寺院、室町時代に南蓮社忍譽西光上人北海慧慶大和尚により本尊を「善光寺如来」として開山されました。
山門をくぐると正面に本堂があります。本堂の脇は大きな墓地があり本堂では葬儀なども行われているようです。
山門の前にはたくさんの草履が祀られた子の権現がありました。子の権現の由緒書きによると
子の権現は天長九年紀伊国天野郷の阿字の長者の一子に生まれた。幼なくして仏門に入り諸人呼んで天野の聖と言い、又生誕が子の年子の月子の日子の刻に当っていたので子の聖ともよんだ。広く諸国をめぐり天平年中栗原の山中に庵を結んで広く諸人の心の糧となったのである。
のち秩父の山中に大鱗山天龍寺を開き百八十歳で死したと伝えられる。世人その徳を慕うのあまり子の権現として祀った。栗原の庵室の跡には万松寺が建っており、近くに坐禅石、笈平、聖峰、仏坂など名が残されている。
常に長寿健脚であったので心願のかなったときには、わらじを作ってお礼参りをする。今でもこの子の権現堂には心願成就のお礼のわらじが奉納してあるのを見かけることが出来る。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。