木戸口神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:ー
 御祭神:ー
 境内社:ー
 本殿の形式:ー
 所在地:長野県茅野市北山蓼科5522ー465
 訪問日:2024年10月15日

 

横谷渓谷の乙女の滝近くに祀られた神社で、諏訪大社の小宮の一社です。

現地の木戸口神社の由緒によると

「木戸口とは昔の関所の代役をして居た所で 此の口を通りて木戸口坂、赤渋平、我党場に 至り。此の地より二手に別れ一筋は逆さの平から 大石峠を経て松原湖より今の南佐久方面に至り、他の一筋は我党場より馬勢口にて馬を返しそれより足で天祥寺原を経て北佐久方面に 通じたのである。

武田信玄はこの道を利用して棒道と名づけ各所に炭を積んで塚を築き又は軍用金を埋め又は我が軍勢に合図をする為、屋根棟(今のパークホテル付近)と我党場は 烽火を揚げた場所とし木戸口平に武田軍勢の勢揃いをした所と聞く、其の后坂本養川に依り水路が開かれ滝が出来てより多くの善男善女が願を達成する為この滝を潜り身を清め神に祈願し其の願の成就したことに依り乙女滝と呼び其の名は高く世の人の知る所となり今尚、若人達が斎戒沐浴して神に祈願する人跡を 絶たずと聞く。

又この木戸口の付近は諏訪大社の古代の 牧場にて其の当時の地名が残り遠見場にて見 張りをし填寄せに追込み弓掛木にて獲物を射 止め木戸口平に集め御祭事をして神神に奉りし所と伝えられ諏訪明神建御名方の大明神の神霊のまじます所につき、木戸口神社として祠られいるものなり。」

信玄棒道は八ヶ岳の山裾を通っていた軍用道路で、武田信玄が北信濃攻略のために作ったとされています。また民衆の生活と物流の道でもあったと言います。かつては上の棒道、中の棒道、下の棒道の3ルートがあったとされていますが現在残っているのは上の棒道のみです。

木戸口神社の鳥居
由緒書きと拝殿
木戸口神社の由緒書き
拝殿に千社札
木戸口神社の拝殿

ほくとナビの棒道の紹介では甲斐小泉から小淵沢へと続く上の棒道が紹介されていました。また蓼科ビレッジのホームページに紹介された武田信玄上の棒道の案内図によると、この地に上の棒道が通っていたようで御立場、木戸口、向城の地名も見付けることができるようです。

石段を登った社は諏訪神社の建御名方の大明神を祀ったところで、社の四方には御柱が祀られていました。

 

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