現地の案内板によると羅漢寺は、かつて羅漢寺山の中腹にあり北山筋の高野山と称され、数多くの末寺を持っ真言宗の名利でした。羅漢峰と呼ばれる峰々は頂上に天狗与三郎現権を祀り原始的山岳信仰と仏教の密教的要素が混じりあった修験道の世界として有名になっていったと思われる。慶安4年(1651年)の火災で焼失し、現在の地に移ったと言われている。旧寺院跡は現在の地より北西1キロほど山間に進んだ急確な谷間に位置し、本堂も庫裏も立派な建物であったことが跡からも推測できます。
当寺に安置されている五百羅漢は、日本最古の木造の羅漢像ですべて一本造りで、当初は彩色が施されており、弘法大師の作と伝えられています。羅漢寺の隆盛時には3ケ所に安置されていましたが、火災や台風の出水、老朽により、現在は百五十四体が羅漢堂に奉安されている。
羅漢寺橋で荒川を渡ると羅漢寺の石段です。羅漢像が祀られた羅漢堂は鍵がかかり参拝はできないようでした。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。