羅漢寺 


 寺社の種類:曹洞宗の寺院
 山号:天台山
 創建の時期:-
 本尊:阿弥陀如来
 札所:-
 所在地:山梨県甲斐市千田4835
 訪問日:2024年7月18日

 

羅漢寺は曹洞宗の寺院です。かつては北山筋の高野山と称され数多くの末寺を持つ寺院でした。現在は百五十四体の羅漢像が羅漢堂に奉安されています。

羅漢寺の本堂
石段の上に本堂
本堂に天台山の扁額
羅漢寺の羅漢堂
羅漢堂
阿弥陀如来像の案内板
五百羅漢の案内板

羅漢寺橋で荒川を渡ると羅漢寺の石段です。羅漢像が祀られた羅漢堂は鍵がかかり参拝はできないようでした。

 

 《羅漢寺縁起》現地の案内板

当寺は、開基八百余年を経ており、かつて羅漢寺山の中腹にあり、花崗岩による雄大な渓谷美のなか、北山筋の高野山と称され、往時は数多くの末寺を持つ真言宗の名刹でした。

羅漢峰と呼ばれる峰々は頂上に天狗与三郎現権を祀り原始的山岳信仰と仏教の密教的要素が混じりあった修験道の世界として有名になっていったと思われる。

羅漢寺山を三岳と号し、一の岳に阿弥陀、二の岳に釈迦、三の岳に薬師をまつる少堂を建て、山全体が修行の場であったと伝えられている。

昇仙峡という神秘的な立地にある羅漢寺は、その拠点となる修験道場であり、いくつかの堂の跡は現在も残っていたが慶安四年(一六五一年)の火災で焼失し、現在の地に移ったと言われている。旧寺院跡は現在の地より北西一キロほど山間に進んだ急峻な谷間に位置し、本堂も庫裏も立派な建物であったことが跡からも推測できます。

人里隔てた深山幽●は、中国の仙嶺天台山に似ていることから天台山羅漢寺を山号として現在に至った。

開創はつまびらかではないが、古い位牌(一二〇〇年頃)に「権大納言征夷大将軍清和源頼朝入道神儀」とあり、開基としています。

「甲斐国社記・寺記」によれば、創建年代は不明ですが、開祖は天台座主有金僧都、大永年中(一五二〇年頃)に俊屋桂彦和尚が中興開山として曹洞宗に改めたとしています。

当寺は山中で田園が無い事から、武田信玄より托鉢することを許されて印鑑の頭陀枡を与えられ、人々も羅溪頭陀と称して施す者が多くあり、特別の檀徒を持たず多くの人の信仰と土地の住民に支えられて来た。

現在は、羅漢寺檀家による手厚い信仰により、羅漢寺及び五百羅漢像の保存が成されている。

当寺に安置されている五百羅漢は、日本最古の木造の羅漢像ですべて一本造りで、当初は彩色が施されており、弘法大師(七七五~八三五)の作と伝えられています。

羅漢寺の隆盛時には、三ヶ所に安置されていましたが、火災や台風の出水、老朽により、現在は百五十四体が羅漢堂に奉安されている。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 阿弥陀如来(あみだにょらい)

大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗浄土真宗時宗などの浄土教宗派が成立した。

阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)

法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。

 

 時宗(じしゅう)遊行宗(ゆぎょうしゅう)

日本仏教の一宗派。念仏系の宗派で1276年一遍(いっぺん)が開いた。阿弥陀経を根本経典とし経中の臨命終時の言葉を宗の名とした。

 

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