八雲神社(八王子神社) 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:永禄7年(1564年)
 本殿の形式:ー
 所在地:山梨県甲府市猪狩町1261
 訪問日:2024年7月18日

 

現地の案内板によると八雲神社は、永禄7年3月(今より約400年前)建立、当地甲斐の国巨摩郡・猪狩村の氏神で古来より石祠内には石棒を安置して祀り、夫婦和合と武運の神として地元猪狩村はもとより近郷・近在の民衆からの信仰は厚く縁結びの神としても知られこの地が金桜神社の古い参道の要所であったこともあり、参詣者の休息と道中の安産を祈願したところと言います。

八雲神社の鳥居
八雲神社の拝殿
境内に由緒書き
拝殿の神額
拝殿の奥に石祠
境内の和合権現

昇仙峡ロープウェイで登ったパノラマ台からは多くに富士山がそびえています。パノラマ台に祀られた八雲神社の拝殿、その奥には古い石祠が祀られていました。

ここは金桜神社へと続く御嶽古道が通っていたところと言います。金峰山は古代から中世にかけて修験者の修行の場として知られて、金桜神社は修験道の霊場として栄えたと言います。修験者たちが登りに歩いた道が御嶽古道上道です。その後、金峰山五丈岩を御神体とする金櫻神社に続く参道として栄えたのが御嶽古道外道です。広重が描いたとされる鞍かけ岩、太刀の抜石などの奇岩もあるところです。江戸時代、昇仙峡をたどる道が開削されるまでは多くの人が険しい道を歩いたと言います。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 奇稲田姫命・櫛名田比売(くしなだひめ)

日本神話に登場する神。八岐大蛇退治の説話に登場します。生贄にされそうになっていたところを素戔嗚尊に助けられ妻になったとされています。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

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